August 11, 2009
歴史の再検証&次世代へのアティチュード
もうすでに何年も前から、欧州では20世紀を再検証する、大変興味深い、かつビックな展覧会が目白押し。アニバーサリーとは、単に記念イベントというより、丹念に自分たちの文化・歴史を再検証する好機であり、その取り組み方は堅実だ。
今年は、バウハウス創立90周年なので、ワイマールを皮切りに、現在はベルリンのマルティン・グロピウス・バウ(Martin Gropius Bau)で「Modell Bauhaus」が開催している。同館では、丁度「Le Corbusier – Kunst und Architektur」も開催中。(行けそうにないけど、行きたい!!)
知人のブログをみると、今年の初めまでミュンヘンのレーンバッハ(Lenbachhaus)で開催していた「Kandinsky」展が、パリのポンピドゥー・センターに回っているようだ。
さて、レーンバッハといえば、リニュアルのため来年度まで閉館している。そのため、このカンディンスキー展も貴重な世界巡回展である。リニュアルで思い出したのが、パウル・クレーのコレクションで有名なデュッセルドルフのK20-Kunstsammlung Nordrhein-Westfalenも、今年の初めから来年まで大リニュアルで閉館中ということ。だから、これもまた、クレーのコレクションが日本にも巡回していましたね。。。ちなみに-Kunstsammlung Nordrhein-WestfalenのK20とは、20世紀美術を扱う専門美術館であり、2002年には、速やかに21世紀美術を扱うK21を開館した。
レーンバッハとクンスト・ザンメルング。ともに、20世紀美術のすばらしいコレクションを誇る両館が、そろってリニュアル。堅実、確実。すごいなと。21世紀になって10年目を迎える2010年に、どのようにリニュアルされるのか?!今から楽しみである。
投稿者 raumraum : 03:04 PM | コメント (0)
October 26, 2008
追記:ダニ・カラヴァン展 / edit: dani karavan
身の回りの人たちの『ダニ・カラヴァン』展評を聞いての補足。たまたま私が話をした人たちがそうだったのだろうが、結構はじめて『ダニ・カラヴァン』の作品の全貌を初めて見た人たちも多かったようで、世界初公開であったテンペラ画、舞台資料やレリーフはおもしろかったが、カラヴァンの代表的環境造形については、さっぱりわからなかったという意見を多く聞いた。
「ええっ!」と耳を疑ったが、理由として、カラヴァンの作品の内容以前に、じっと映像を見ていられなかったらしい。そのため、作品本体がどういうものかもわからず、模型をみても関連性がつかめない、ということのようだ。
これは、実物そのものの展示が難しいものの二次資料の見せ方や映像による展覧会の組み立てが、まだまだ必ずしも理想的な手法を見いだすに至らないからであろう。テレビや映画のように、座ってみることを前提にした「観る」映像と、動きながら体験していくための映像演出は、あきらかに違う方法で取り組まなければ成り立たない。また、模型などの見せ方も、模型に対するリテラシーがない人は、思った以上に実感がわかないようなのだ。体験を演出するための展覧会デザインの難しさを再度痛感。
それと、私はたまたまカラヴァンの仕事を見知っているので、大作に付随した模型やドローィングを、作品そのものと比較しながら大変興味深く拝見した。しかし展覧会を楽しんだゆえに、ちょっと残念だったのは、図録にそれらの二次資料のキャプションがなかったこと。なかなかこういう大回顧展はないので、細部の情報もぜひ網羅してほしい。
基本的に私自身は、かなり展覧会を堪能してきたので満足しました。
投稿者 raumraum : 07:12 PM | コメント (0)
October 13, 2008
ダニ・カラヴァン展 / dani karavan
世田谷美術館で開催されている「ダニ・カラヴァン」展(2008年9月2日 -10月21日)に行ってきました。テル・アヴィヴ美術館(イスラエル・テル=アヴィヴ)とマルティン・グロピウス・バウ(ドイツ・ベルリン)を巡回してきた回顧展です。カラヴァンが展示のデザインも手がけ、美術館の空間にあわせたインスタレーションが観られます。また、世界初公開となる初期のテンペラ画や挿絵、壁画や舞台美術資料、レリーフや彫刻など、代表的な環境造形の制作に至るまでの過程を丹念にたどることができます。世界各地で実現した恒久設置作品や一過性のプロジェクトが模型や映像資料とともに堪能できるので、カラヴァンの仕事をあまり知らない人でも全貌を知る良い機会だと思います。
カラヴァンの環境造形といえば、石、柱、レールといったユダヤという出自にまつわる歴史や文化的な背景とその暗喩を含みます。しかし、単にモニュメンタルな彫刻を制作している訳ではなく、なによりも体験のためのプロセスということが重要な作家です。恒久的な作品では、その体験プロセスそのものが強い象徴性をもち、ときに困難な歴史的重さ、ソリッドなイメージがありますが、この展覧会では砂、足跡、映像といった一過性のモチーフを使い、その会場ならではのインスタレーションを試みています。そのため、象徴性以上に体験そのものの微妙な組み立てを感じることができます。写真や映像でみる限り、回顧展とはいえイスラエルとドイツでも会場にあわせたインスタレーションを制作しており、同じように砂などを使っていても随分と空気が違うように思えました。インスタレーションの規模もあちらの方が大きいようですし(なんか全ての会場を体験してみたかったです。)
なによりも興味深かったのは、初期のテンペラ画にはじまり、壁画や舞台美術資料にみられるカラヴァンのバックボーン。絵の非常にうまい人なのですね!テンペラ画の色彩はクレーの絵のようです。環境造形にみられる絵画的な立体性や体験の組み立て方というものが、これらの基礎に成り立っているとは、とても納得いくことであり、数々の代表作にいたる思考・制作のプロセスをまるで可視化しているようでした。彼の作品をみるといつも同時にルイス・カーンを思い出すのですが、今回のレリーフ、壁画などのプロセスをみると、なんだかイサム・ノグチにもつうずるものがあるなと思いました。展覧会カタログによると、実際にカーンにもノグチにも影響を受けたそうで、とくにノグチがカーンと共同で計画したプレイグラウンドの模型から感銘を受けていたようです。ブランクーシにも影響されたとか。ああ〜、イチイチ納得。(クリストフ・ブロックハウス著『パブリック・コミッション ー ダニ・カラヴァンによるサイト・スペシフィックな環境芸術』本展覧会カタログ所収)単に作品のモノグラフというよりは、一人の作家の思考の個人史のようでおもしろかったです。
それから、ちょうど90年代にカラヴァンが来日して各地で大きな巡回展が開催された際に、個人的には国内にいなかったせいもあり、この頃から近年まで日本の各地にいくつもの恒久作品が制作されたことを知りませんでした。ドイツでみていた作品とは、どうもずいぶんと印象が違う気がするので、そのうち現地それぞれに赴いてみたいと思いました。
それと、ぜひ観てほしいのは<パサージュ、ベンヤミンへのオマージュ>(ポルトボウ・スペイン、1990-94)のための部屋。(1940年ベンヤミンは、ナチスの手から逃れるべく合衆国への亡命を試み失敗、ポルトボウで自殺。この作品はベンヤミンの墓の近くに設置されている。)作品のためのドローイングが観れ、壁にはベンヤミン最後の重要な論考『歴史の概念について』からの引用があります。キャプションによるとドローイングは、デュイスブルグ市のレーンブルック美術館(Wilhelm Lehmbruck Museum, Duisburg)だったようですが、(うう〜んカタログ見直したが出ていない。うろ覚えて書いてはいけないが)ドイツの美術館に所蔵されているというのが因縁、いや、さすが戦後のドイツだと思います。
「この文化財と呼ばれるものが文化の記録であることには、それが同時に野蛮の記録でもあるということが分ちがたく付きまとっている。」(『歴史の概念について」VII、「ベンヤミン・コレクション I 近代の意味」ちくま学芸文庫、1995)
ちなみにイスラエル(イスラエル美術館)にはパウル・クレーの「新しい天使(アンゲルス・ノーヴス)」(ベンヤミンが購入して私蔵していたもの)がありますが、テル=アヴィヴでの展示では、この作品が一緒に展示されていた?らしい、展示会場に同作品がおかれている写真がありました。
マルティン・グロピウス・バウで開催された展覧会についてのヴィデオ。
カラヴァン自身のコメントが聞けます。(学芸員のコメントはドイツ語、カラヴァンは英語)
Video: Dani Karavan – Retrospektive Martin Gropius Bau
(Dani Karavan, Berlin, 2008.03.15)
投稿者 raumraum : 09:18 PM | コメント (0)
June 07, 2008
国宝薬師寺展
一応いかなきゃいかなきゃとメディア戦略にのせられ、バウハウス展を見たのち「国宝 薬師寺展」(東京国立博物館)を梯子。すでに70万人突破。。顔見知りの警備の方に伺ったら、今日は少なめで24000人ぐらいですかね〜、とのこと。クレイジー。ちょっと桁が違い過ぎ。きっと今日明日最終の週末は恐ろしいでしょうね。
混んでいること覚悟で、一応見ておく:というのが、ほぼ目的で来館。日光・月光菩薩や聖観音菩薩立像がほ〜と堪能できるのはわかっていることなので、コメントは省きたい。むしろ、仏像に群がるすごい人数の来館者。。。の方が不思議な光景。。。。その中で、つい職業病で俯瞰して観客見たり、照明の仕込み覗いたり、あやしい動きをしてしまいました。
マニアックなものとして、藤原期に作られた「塑造人物像頭部」等は必見です。欠落頭部がいっぱい展示されていてました。ペルシャ等の西方の胡人を表わしたものらしく、結構細部の表情まで表現されていて面白かったです。
展示について、今回点数が多くはないことと菩薩像等に合わせた演出でしょうが、ちょっと過剰演出のように思えました。実験的なことを近年色々やられているので、基本的には毎回楽しみにはしているのですが。。。。
映像を扱う身として思ったのは、高精細映像は使い方難しいですね。テレビ的映像をそのまま流してしまっているから、しょうがないのですが、人間の眼が空間の中で移動する際に把握できる情報って多くないので、あれは精彩すぎて、また、ズームやパーンが速すぎて酔ってしまう。また、吉祥天のところも、(今回は残念ながら良い意味でなく、ゆえに参考にはなったのですが)さきにあれだけ高精細を見せてしまうと、むしろ本物の色をじっくり堪能できなくなってしまう。あえて場所を離すのか工夫が必要ですね。(でも、本物の色、もちろん保存のために大変暗い照明でしたが、きれいな色彩でしたね。)展示演出や空間演出のための映像表現は、やはりまだまだ開発されていないなと思いました。自分でも高精細で展示演出を扱ったりしますが考えなきゃですね。。。。でも、色々とできることがうらやましく。。。
混んでいますが行かれることを薦めます。。。
投稿者 raumraum : 04:22 PM | コメント (0)
February 18, 2008
インタラクション / interaction
「文学の触覚」展(東京都写真美術館、2007年12月15日(土)→2008年2月17日(日))の最終日に滑り込んだ。
インタラクションを使った「アート」が、お目見えするようになって20年はたつ。あれから技術が進み、随分とお手軽に扱えるようになった。でも、インタラクションの抱える問題は、あの頃と本質的に変わっていない。
投稿者 raumraum : 07:10 PM | コメント (0)
January 25, 2008
竹内順一先生の最終講義
1月24日に元東京芸術大学大学美術館館長、竹内順一先生(現芸術学科教授)の最終講義が行われた。当日は、東京芸術大学美術学部の「第一講義室」に立ち見が出るほどの人々が集まられた。在校生、卒業生、先生方、美術館博物館関係者、先生をお慕い申し上げている本当に多方面からの方々がこられていた。
講義には、膨大な量の文献一覧および先生の著作目録が聴講者全員に配られた。特定のご研究について語られるということではなく、この配布資料をもとに、美術館での実践と大学での「博物館学」などの授業を通して、ご自身が体系化されてきた理論と広い視座を「Museography」という概念で展開された。
個々の事柄について詳細を語るということはされなかったけれど、いまもなお美術館の現場に身を置かれ、博学でご経験豊かな先生のお人柄を表す講義で、なによりもその配布資料は、行動し、学び、研究し、さまざまな見方で未来に展望をもつことの楽しさを、あらためてお教えくださったように思う。
講義後のパーティーで先生の教え子でいらっしゃる某博物館学芸員の方が、ユーモアあふれるスピーチの中で、「恨み言ばかり申し上げるようですが、一度美術館で先生の部下として働きたかった」とおっしゃった。その場に集った元同僚達と、思わず顔を見合わせた。
おもえば大学美術館にいた頃、ご多忙な先生は、ひょいと研究室に顔を出されて一言なにかおっしゃって、またお忙しいそうにでていかれる。あるいは、たまに収蔵庫におりていらっしゃり、ものの扱いをお教えくださったりした。その頃は、普通の日常の一コマであったけれども、実は芸大を離れ今になってハッと思い出されることが多い。おそらくなにげない日常会話の中で投げかけてくださってきたことは、人が働く上で必要とする基本的で大切なものごとへの対応の仕方や所作であったように思う。
ちなみに、今回の先生のお言葉:
美術館学芸員に必要な三つの「お」
おひとよし、おっちょこちょい、おせっかい
でもこれ、学芸員にだけあてはまる言葉ではないだろう
投稿者 raumraum : 02:53 AM | コメント (0)
October 17, 2006
仏像 一木(いちぼく)にこめられた祈り / glaube formen: japanische ichiboku buddhastatuen / shaping faith: japanese ichiboku buddhist statues
先週、東京国立博物館で開催中の「仏像 一木(いちぼく)にこめられた祈り」展をみにいきました。全て一木から彫られた仏様の像というとてもマニアックな展覧会です。第1室には、小さな仏様が十数点並んでいます。仏師は木を見た時に、仏の姿を見るといいます。ここにいらっしゃる仏様は、みなこのようなお顔をされた木であったのだろうと、「木」の顔そのものを見ることができるようです。
多すぎて第1室・2室しかまだ見れていないのですが、堪能できる展覧会です。
投稿者 raumraum : 12:11 AM | コメント (0)
October 05, 2006
風神雷神図屏風 / windgott und donnergott / wind god and thunder god
10月1日、やっと出光美術館の「国宝 風神雷神図屏風 —宗達・光琳・抱一 琳派芸術の継承と創造—」展にすべりこみました。俵屋宗達・尾形光琳・酒井抱一という琳派を代表する3人の江戸の絵師が、時代をこえて描いたそれぞれの「風神雷神図屏風」が、66年ぶりに一堂に公開されました。ああ〜、見に行けて良かったです。今まできちんと見たことがあるのは、宗達のものだけだったことに気づきました。光琳と抱一の「風神雷神図」は、はじめて見ました。やっぱり宗達の「風神雷神図」が一番。というか、あの絶妙な構図の切り方、そこにある緊張感と屏風に広がる空間などが、記憶のどこかにいつも刷り込まれていたのを、再発見したように思います。光琳の「風神雷神図」はとてもグラフィカルでした。でもその裏に、先日東京国立博物館で観覧した抱一 の「夏秋草図屏風」が描かれていたというのは、ちょっと想像しにくいものでした。「夏秋草図屏風」はとても空間的なものだったので、光琳の「風神雷神図」に呼応するように描いたという逸話が、あまりピンときませんでした。
宗達が、「北野天満宮縁起」など、さまざまな他の物語絵からモチーフを選んでは、アレンジして独自の絵に仕上げる絵師だったということは、面白いと思いました。
投稿者 raumraum : 10:54 PM | コメント (0)
September 08, 2006
夏秋草図屏風 酒井抱一筆 / byobu "pflanzen von sommer und herbst" von SAKAI hoitsu / byobu "plants of summer and autumn" by SAKAI hoitsu
昨日東京国立博物館の平常展(および特集陳列)をみてきました。ただいま雪舟関連の映像の仕事をしているので、とにかく古い巻子本、屏風、良き日本の美術が見たかった。
とりわけお目当ては、時代はずっとくだって琳派のもので「重文 夏秋草図屏風 酒井抱一筆」の特別公開。これは、尾形光琳の「風神雷神図屏風」(光琳が宗達の「風神雷神図屏風」を模写したもの)の裏側にかかれていたものを、昭和49年(1974)の解体修理の際に独立した屏風として改装したのだそうです。元々表に描かれていた風神雷神に呼応するよう、抱一に構想したもの。構図の絶妙さ、とても洗練された美しい夏秋草の像が描かれています。
ちなみに、9月9日から10月1日まで出光美術館で宗達、光琳、抱一の風神雷神図が一挙に公開されるとのこと。3つが一緒に展示されるのは、66年ぶりだそうです。観に行かねば。
gestern habe ich die sammelungsausstellung am tokyo national museum besichtigt. da ich beschäftige mich z.Zt. mit den movies für die japanische alte malerei, wollte ich einfach "tolle" japanische byobu (japanische bandschirme), kansu-bon (bildrollen) schauen.
besonders prächtig war der natsuakikusa-zu byobu (byobu "pflanzen von sommer und herbst")(japanischer wandschirm) von SAKAI hoitsu, der früher auf der hinteren seite des fujin raijin-zu byobu von OGATA korin (japanischen wandschirm mit windgott und donnergott) gemalt war.
fujin raijin-zu byobu ist ursprünglich von TAWARAYA sotatsu (? - ? , frühe edo-zeit) gemalt geworden. OGATA korin (1658-1716) hat 70-80 jahre später diesen byobu von sotatsu abgebildet. noch 100 jahre später hat SAKAI hoitsu (1761-1828) wiedermal den byobu von Korin abgebildet. drei fujin raijin-zu byobu von sotatsu, korin und hoitsu, die repräsentierende maler von rimpa (einer eigenständigen stilentwicklung der japanischen malerei, kalligraphie, keramik und lackmalerei von 17 - 19 jahrhundert) waren, werden vom 9. september bis 1. oktober am idemitsu museum of arts ausgestellt. wertvoll zu sehen !
投稿者 raumraum : 05:17 PM | コメント (0)
May 06, 2006
ナム・ジュン・パイク / Nam June Paik
ナム・ジュン・パイク(Nam June Paik, 1932-2006)が今年1月29日に亡くなって早3ヵ月。当時一報をしったのは、メーリングリスト。20世紀を代表するこのヴィデオ・アートの先駆者(とだけで言い切ってよいのか?)、メディアの申し子の死を悼むメッセージが行き交っていた。
私が留学していたケルンは、近郊の町デュッセルドルフと並び、フルクサスの拠点だった。ケルンメディア芸術大学(Kunsthochschule für Medien Köln)の同僚たちの中には、デュッセルドルフの芸術アカデミー(Kunstakademie Düsseldorf)において、ドイツを代表する現代美術家たちのマイスター・シューラーだった人達も多い。
友人のマティアス・ノイエンホッファー(matthias neuenhofer)は、ナム・ジュン・パイクのマイスター・シューラーだった。彼からのメールによると、今日5月6日、かつてのパイクのマイスター・シューラーたちの企画で、パイクへのオマージュとして『 Hommage à Nam June Paik』(会場:17 Hafen - Bootschaft)という催しを行なうらしい。専門家、かつての教え子たちが、パイクの作品、ヴィデオを見直し、そして短い幾つかの講演会を挟みながら、彼の人柄を偲ぶ会は夜中の2時頃まで続く。マティアスは、ここで『ヴィデオ・タイム-ヴィデオ・スペース, ナム・ジュン・パイク, デュッセルドルフ・クンストハレ, 1991 - マティアス・ノイエンホッファーの視点から("Video Time-Video Space, Nam June Paik in der Kunsthalle Düsseldorf 1991 - Beobachtung von Matthias Neuenhofer)』というヴィデオを見せるらしい。1991年にデュッセルドルフのクンストハレで行なわれたパイクのインスタレーション、パフォーマンスの様子をマティアスの視点から追ったものらしい。
デュッセルドルフ芸術アカデミーは、ヨゼフ・ボイス(joseph beuys, 1921-86)、ナム・ジュン・パイクといった20世紀後期の偉大な芸術家たちが集った場所である。ボイスといえば、パイクは一緒にパフォーマンスをしていたし、彼のヴィデオ・インスタレーションはボイスの姿無くして語れない。奇しくも今年は、ボイスの没後20年。ドイツでは各地でボイス関連の展覧会、催し物が開催されている。
ドイツは、1つ1つ確実に時代の検証を行なう国である。かつてあるドイツの偉大なデザイナーが亡くなったとき、その人の残り香のようなものがあるうちにドイツの土を踏んでみたいとおもったものである。ボイスが去って早20年、パイクが逝ったと聞くと、いよいよ20世紀の末尾も歴史の中なのか。なんだかそんなことも日本にいると時代の速さに流されていってしまいそうだが、いつの時代でもヨーロッパはきちんと土のにおいかぎながら進んでいるような気がする。特にドイツは土臭い。ここのところドイツはもちろんのこと、ヨーロッパでは各国で20世紀初頭から世紀末まで各時代を検証する展覧会が沢山開催されているようである。日本でも20世紀を振り返る展覧会はそれなりに続いているはずなのだが、もっと確実に土のにおいを嗅ぎたい。久しぶりにヨーロッパに行きたいと思う今日この頃である。
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と、まで書いて、mori art museumで明日まで開催している『ベルリン-東京/東京-ベルリン展』を観に行った。いい作品が色々と出ているにもかかわらず、でもどうしてこの文脈でこの人のこの作品が必要なの?という感じ。それでも、なかなか見れない人達の作品が観れて、それだけでも良かったか? と、密かに思ったり。
ところで、あそこで開催される展覧会は作品のアウラを奪う。『ハピネス』展のときも、ボイスに気がつかず一度通り過ぎてしまったぐらい、あの彼のインスタレーションもフェルト・スーツもアウラがない。今日もフルクサスのコーナーで、ある作家のパフォーマンス・ビデオを観ていて、「なぜボイスのがないんだろう」と考え込んでしまった。が!!。。。すぐ隣で、まさに草月会館で行なわれたボイスとパイクの共同パフォーマンスの映像が流れていた。(単に私が不注意なのか)
今日は、パイクとボイスのことを考えていたら、彼らのパフォーマンス映像が見れてなかなか楽しい思いをした。嬉しそうに伴奏するパイクとコヨーテになっているボイス。『ザワクラウト総譜』というボイスのパフォーマンスの写真は笑った。ピアノがザワクラウト(キャベツの酢漬け)まみれになっていた。ボイスがまじめに演奏していた。