November 12, 2009

EXHY

我が家の、便利にこだわるものぐさ職人さんが、しこしこ、密かにバージョンアップしている展覧会をチェックする見逃し防止ツール「EXHY」

まだ、登録者が少ないから、いちいち展覧会場情報入力しなきゃならんが、みんなが使えば、便利になる。

私なんか、忘れちゃうから、たまにパフォーマンス情報も入れてしまう。

EXHY

投稿者 raumraum : 05:13 PM | コメント (0)

twitter

twitter、登録したまま、ずっと放置。これまた放置したままだった家族が、急に再開したもんだから、こりゃ便乗しないとまためんどーになると、私も、コメント入れてみる。それにしても、いわゆる職場や友人たちで、検索してみたけど、あまりひっかからない。

ドイツの友人たちも検索してみたが、意外と、ハイテクなことについていける人ほど、やってなかったり。。。

めんどーくさがりの私なので、すぐあきちゃいそうなので、やってる人、おしえてくださいね。

@raumraum

投稿者 raumraum : 03:12 PM | コメント (0)

April 22, 2008

Stephen Fry and the Gutenberg Press

4月14日にBBCで公開された「Stephen Fry and the Gutenberg Press」の映像がYouTubeに公開されています。BBCの方はiPlayでしか公開していないので海外では見れません。(iPlayは英国国内でしか見れません!残念)

内容は、Stephen Fry(スティーヴン・フライ、英国俳優)が、グーテンベルグの活版印刷技術の発明の背景を、ヨーロッパ中を旅しながら追っていくというもの。グーテンベルグがこの技術をどのようにして秘密のうちに開発していったか、そして、彼のアプローチがどのように文化的革命を起こしていくことになるのかを解明していきます。The Britisch Libraryや当時の技術再現実験などが流され必見。

YouTubeなので、早めに見てしまった方が良いかもしれません。

ところで、グーテンベルグのドイツ・マインツの生家跡とか出てきますが、グーテンベルグというのは通称で、本名は「Gensfleisch(ガチョウ肉)」さん。。。なのですね。

投稿者 raumraum : 12:49 AM | コメント (0)

May 13, 2007

skype3

ドイツとの交信にskypeを使いはじめて気がついたことがある。今までにも数カ所をネットワークで結んで、リアルタイム通信するといったプロジェクトには参加したことがある。しかし、当時の感覚とは随分とまた違う。

90年代、リアルタイムで遠方と交信することは、まだまだ大変だった。ドイツと日本でtalk(現在のchatみたいなもの)で会話をしようとすると、リモートアクセスによるWindowの接続は、とても不安定だった。いつ切れてしまうかドキドキし、自分の打った文字に答える相手のタイピングには大きなタイムラグがあった。しかし、この不安定さが、距離の実感であり、遠く離れた人と繋がったことへのひそやかな喜びだった。

それが、画像や映像をリアルタイムで送るときには、長期にわたり申し合わせを行い、極力煩雑さをそぎとり、とにかく本番で繋がり「最低限の情報」を交換できれば成功だった。ネット越しの共同作業への夢はまだ遠く、交信できる情報量は微々たるものだった。「繋がり、何かを交換できること」が目的だった。誰かと接続するということは、その接続の安定性が距離と比例していることであり、交信されるべき情報量もその距離に比例していたのである。

ところでskypeを使ってみて、まず驚いたのが音質のよさである。電話なんかよりはるかによいのである。普通に電話しても、IP電話で繋いでも、まだまだ接続の仕方によっては、音質は悪く若干のタイムラグが生じる。それがskypeでは、タイムラグなんてそれこそ関係なく、すぐ間近で電話をしているような音質なのである。相手の動作から生じる音、相手の後ろのドアが開いて誰かが入ってきて話している声、それに答える相手。全てよく聞こえる。

そんな相手とのやり取りの中で気が付いたことがある。相手に伝えるべき情報の編集が、あまりないのである。今まで遠方とやりとりするには、常に的確に伝達するための、事前の情報編集が必要であった。しかし前述のように、skype中に家族との会話がはさまったり、あるいは、skypeのボイスメールに残されたメッセージも「渋滞にはまっちゃってあと30分ぐらいかかる」とか、用件を話す以前の内容がたくさん盛り込まれている。これらの通信内容は、しょっちゅうコンタクトを取っている家族や友人と話しているときのような煩雑なものなのである。

必要な情報量の密度が上がったかどうか別として、近距離にいるときと同じような情報量が増したのは確かだ。

むろんじかに相手と会うことと通信とは別物である。また、時差もあって、確かに距離は存在する。しかし、日常に忙殺していると近距離の家族や友人でも、時間帯が合わず何らかの交信ができないのは普通によくあること。通信というコミュニケーションの手段について考えると、「日常の情報量」が、必ずしも距離の比率とは関係なくなってきているのかもしれない。

そこらへんの感覚の変化、それを観察してみることも、今回のドイツとの共同プロジェクトで、楽しみにしている。

投稿者 raumraum : 12:08 AM | コメント (0)

April 13, 2007

skype2

2回目のskype交信成功。とにかく準備期間がなかったから、共同プロジェクトが4月からできるのかできないのかさえもわからないスタート。

「始めよう始めようと言ったけど、時間がもうないじゃないか!」
と、相手は思いっきりストレスを感じたようだ。

。。。ええ〜、私は何ヶ月か前からメールは送ってたじゃない、具体的な案を送ったのも数週間前なのに。。。。ああ〜、でもわかっている。普通外国の誰かと共同プロジェクトを始めるのに、こんなバタバタでは、実現しない。。。などと思っていると。。。

「とにかくこれから学生にメールを送ってみて、やりたい学生がいるかどうか探してみる!」

「(見切り発進で、)スケジュールもプロセスの中で決めていこう!お互いの学生のSkype交信だって、なんとかなる!」
というのが、あっちの言い分。

あっちの性格も、私以上に計画性なし。その割にこういった見切り発進のものに対して前向き。。。ありがたい。というか、古い知り合いだからお互いわがままをいえるというもの。

その結果、こちらからはかなり綿密な予定表をつくって送ったのだが
「とにかく週末また話そう!」と、なんだか2回目の打合せも、詳細は決まらず終わった。

しかし、大きな不安はつきまとうものの、それでも良いのではと思いながら、skypeを切る。大学の授業は、それこそ計画されてしまっている。しかし、こういったインターカルチュラル・コミュニケーションを目的としたプロジェクトを進めていく上で、計画を立てていくのは「学生」自身である。そもそもWork in Progressのプロジェクトをしようとしているのだから、どんどんそのつど、計画を立てていけば良い。

コミュニケーションとは、用意されているものではない。一つずつ段階を踏んで組み立てていくものである。それは、電話等がなかった時代も、通信手段が進んだ現代もかわらない。時間がかかったやりとりも、今日のせわしない通信のやり取りも、ある質をもったコミュニケーションを展開するには、それだけの密度と深さが必要である。

投稿者 raumraum : 06:21 PM | コメント (0)

April 12, 2007

skype

はじめて、skypeを使ってみた。skypeとは、PC越しに無料通話できる音声通話用フリウェアである。ドイツの友人が教えている学生とうちの学生とでやろうとしているプロジェクトの打合せのためである。オンラインで映像のやり取り等をしてみたいと思っている。

開口一番、「覚えてる? Aが、あの頃やっていたプロジェクト?」あの頃とは、1993年ケルンメディア芸術大学にいた頃のこと。大学の共通の友人が、当時日本人のペンフレンドと映像交換プロジェクトをやっていた。それぞれの国で撮影した素材を郵便で送って、相手に編集してもらう協同制作。でも、打合せのやり取りをしてたりすると、映像素材が送られてくるまで、あっという間に何ヶ月もかかる。結局たった1本の作品を仕上げるのに、どのくらいの期間やってたんだか、完成したのかも知らない。どうやって連絡とっていたんだか。

私たちの大学は先端の技術を取り入れていたから、すでに私たちはメールをしょっちゅう使っていたし、talk(今のchatみたいなもの)でPC越しに会話したりしていたが、コマンドラインで(もちろんアルファベットで)やり取りしていた。アメリカ在住の日本の友人とさえもアルファベットでやりとりしていた。ましてや日本ではまだ一部のマニアックな人たちが、パソコン通信を一生懸命始めていた頃の話。あの頃にどうやって連絡取り合っていたんだろう。。。なんだかお互い片言の英語で、ファックスでやりとりしていたのか??コミュニケーションをとるなんて、言葉はもとより、通信がとにかく大変だった。

そういえば、他にも最新技術を駆使するべく、そんな共同プロジェクトを色々考えている同僚たちが何人もいたっけな。。。自分自身のことも思い返せば、1992年ドクメンタでは、エレクトロニックカフェというプロジェクトで、画像通信と音声通信に参加させてもらった。技術的なこともさっぱり良くわかっていなかった。たかが一枚の画像を送るのに、本当に大騒ぎだった。

テレマティック。地球の向こう側にいる誰かと一緒に何かに取組むという想像はとても楽しかった。

そんな体験をしていたので、今は使いやすくもなっているだろうけど。。。なんて思いながら、当時ほどそういった日進月歩のテクノロジーにも対して興味もなく、チャットだなんだといわれても、いまさらふ〜んという感じだった。しかしskypeは思った以上に音声が良かった。急になんだかあの頃の実感が湧いてきた。

大学院を卒業してから丸10年が過ぎた。とても不思議な感覚である。当日の友人とその学生とともに共同プロジェクトをしようといっているのである。しかも映像の交換プロジェクト。時代は変わったものだ。今では当たり前のことで、しかもなんとか送れた、届いた。。。なんてことではなく、そういったデータリソースの共有を当たり前のこととして、中身も突っ込んだ制作活動をやろうというのである。

。。。なんて、感慨深く思いながら通信をしている向こうで、「メールの添付が文字化けている!ちきしょう!時代は変わってもトラブルはかわらない!」なんて、キーボードを叩きながら叫んでいる友人の声をリアルタイムでききつつ、また明日ね。といって、Skypeを切った。

今日また打合せをしようとしているのだが。。。時差だけはどうもしがたく、今晩はまだ会えていない。

投稿者 raumraum : 11:49 PM | コメント (0)

April 25, 2006

映像 / bilder / images

 NHKで放送された『プレミアム10「立花隆が探る サイボーグの衝撃」』を見た次の日、『闇に残されたメッセージ/世界最古・洞窟壁画の謎』(港千尋・土取利行氏による案内, NHK, 2003)の録画ビデオを改めて見直しました。

 洞窟の中では、人が生と死と向き合うための、芸術以前のより原初的な人類の表現としての祈りの場が、顔料を吹き付け(project)、音をこだまさせ、全身全霊でつくられていたらしいということです。それから時をへて、人は、心に思い浮かべる像、光学的な現象から見える像などを、うつし(映・写・移)だし、何らかの媒体(メディア)に定着させる方法をたえず模索してきました。それが、絵画であったり、カメラであったり、今日の映画だったり。

前述のサイボーグ技術やクローン技術も生命を写す技術ではあるのですが。

投稿者 raumraum : 03:27 AM | コメント (0)

April 24, 2006

NHK『プレミアム10「立花隆が探る サイボーグの衝撃」』/NHK Premium 10 - der bericht von Takashi TACHIBANA "schockierend vom cyborg" / report by Takashi TACHIBANA on "impact of the cyborg"

昨日(4月24日)のNHK『プレミアム10「立花隆が探る サイボーグの衝撃」』は、とにかくすごかった。例えば、両腕を失った人が、腕の付け根・胸あたりに脳から「本来腕の神経にあたる部分」を繋げ、義手をつけている。これは、今までの義手と違って、直接、腕の神経を繋げ、脳から電気(体が動くのって脳から電気が送られているわけですが)を送っているため、義手であってもかつて腕でものを触っていたのとほぼ同じ感覚がある。但し、胸に「腕」の神経があるため、胸を触られると、手首や肘を触られている感覚がある。

また、全身付随の人の脳にコンピュータを接続して、考えるだけで?(目で見るだけで)モニタ上のカーソルを動かせたり、少し離れたところのロボットの手を動かすことができたり。

極めつけは、マウス。マウスの脳にコンピュータを直結させて、リモート操作する。例えば、右に曲がる時には、右のひげのあたりの神経を刺激してやり、実際に右に曲がると「快楽」の神経を刺激してやる。生物の行動は、生き延びるとか快楽を得るということと強く結びついている訳ですが、行動の後に「快楽」を生じさせるという部分などかなりショック。

ビデオに撮り損ないましたが、再放送をしたら撮りたいです。


投稿者 raumraum : 02:33 AM | コメント (0)