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May 13, 2007

skype3

ドイツとの交信にskypeを使いはじめて気がついたことがある。今までにも数カ所をネットワークで結んで、リアルタイム通信するといったプロジェクトには参加したことがある。しかし、当時の感覚とは随分とまた違う。

90年代、リアルタイムで遠方と交信することは、まだまだ大変だった。ドイツと日本でtalk(現在のchatみたいなもの)で会話をしようとすると、リモートアクセスによるWindowの接続は、とても不安定だった。いつ切れてしまうかドキドキし、自分の打った文字に答える相手のタイピングには大きなタイムラグがあった。しかし、この不安定さが、距離の実感であり、遠く離れた人と繋がったことへのひそやかな喜びだった。

それが、画像や映像をリアルタイムで送るときには、長期にわたり申し合わせを行い、極力煩雑さをそぎとり、とにかく本番で繋がり「最低限の情報」を交換できれば成功だった。ネット越しの共同作業への夢はまだ遠く、交信できる情報量は微々たるものだった。「繋がり、何かを交換できること」が目的だった。誰かと接続するということは、その接続の安定性が距離と比例していることであり、交信されるべき情報量もその距離に比例していたのである。

ところでskypeを使ってみて、まず驚いたのが音質のよさである。電話なんかよりはるかによいのである。普通に電話しても、IP電話で繋いでも、まだまだ接続の仕方によっては、音質は悪く若干のタイムラグが生じる。それがskypeでは、タイムラグなんてそれこそ関係なく、すぐ間近で電話をしているような音質なのである。相手の動作から生じる音、相手の後ろのドアが開いて誰かが入ってきて話している声、それに答える相手。全てよく聞こえる。

そんな相手とのやり取りの中で気が付いたことがある。相手に伝えるべき情報の編集が、あまりないのである。今まで遠方とやりとりするには、常に的確に伝達するための、事前の情報編集が必要であった。しかし前述のように、skype中に家族との会話がはさまったり、あるいは、skypeのボイスメールに残されたメッセージも「渋滞にはまっちゃってあと30分ぐらいかかる」とか、用件を話す以前の内容がたくさん盛り込まれている。これらの通信内容は、しょっちゅうコンタクトを取っている家族や友人と話しているときのような煩雑なものなのである。

必要な情報量の密度が上がったかどうか別として、近距離にいるときと同じような情報量が増したのは確かだ。

むろんじかに相手と会うことと通信とは別物である。また、時差もあって、確かに距離は存在する。しかし、日常に忙殺していると近距離の家族や友人でも、時間帯が合わず何らかの交信ができないのは普通によくあること。通信というコミュニケーションの手段について考えると、「日常の情報量」が、必ずしも距離の比率とは関係なくなってきているのかもしれない。

そこらへんの感覚の変化、それを観察してみることも、今回のドイツとの共同プロジェクトで、楽しみにしている。

投稿者 raumraum : May 13, 2007 12:08 AM

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