December 29, 2009

長門国散策 / Spazierengang in Nagato-no-Kuni

山口県は、公私にわたり定期的に来ているけれど、いつも同じ場所ばかり訪れているため、意外と行っていない場所がほかに沢山あります。今まで行っていておかしくないのに、実は初めてだったのが、下関一帯、長門国。

まず、足を伸ばしたのが長府の城下町。

長府は、「長門国府」の略。土地の記録が歴史上表れるのは、『古事記』『日本書紀』と古く、仲哀天皇(古事記に出てくるが実在不明)の仮皇居として豊浦宮(現長府忌宮神社)が建てられたと記述されているそうです。中世には、大内氏の下で、そして、大内氏が滅亡した後には初代藩主を毛利秀元(元就の四男穂田元清の子)とした長府藩の城下町として栄えました。維新に際しては、高杉晋作が功山寺で挙兵したことでも知られます。

美術史ゆかりの人としては、狩野芳崖が長府藩のお抱え絵師で、覚苑寺には銅像も建っているようです。

山口県には3つの国宝建築があるそうですが、そのうち2つが長府にあります。

功山寺
まず訪れたのは、功山寺。

 

山門を上っていく。とても手入れの行き届いて、木立の間から木漏れる冬の日差しが美しかったです。


 

国宝功山寺仏殿。鎌倉時代末期にあたる1327年の創建で、二重屋根入母屋造りの桧皮ぶきが特徴の、典型的な唐様禅宗式建築で、同種の建築物としては、日本最古のものと言われています。同じ様式としては、鎌倉円覚寺の舎利殿が同じ様式だそうです。桧皮ぶきは、30年に1度葺きかえられているようです。


法殿入り口の杉戸絵は、狩野芳崖の父、狩野晴皐によるものです。普段から使用されている場所なので、前にものがおいてあって、よく絵が見えませんでしたが。。。しかも、由来に気がついたのが、お寺を出た後でした。


 

法殿から書院「五卿潜居(ごきょうせんきょ)の間」へと渡ると、お庭が見えます。小さいですけれど、美しいことで知られている有名なお庭だそうです。いやしかし、日本の庭園というのは、本当に小宇宙のあつまりですね。奥床しく趣のある素敵なお庭でした。

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住吉神社
長府にあるもう一つの国宝建築が、この神社の本殿。住吉神社は、全国にありますが、この神社のご由緒も古く、仲哀天皇の妻、神功皇后が住吉大神の荒魂を祀るために祠を建てたのが始まりと言われているそうです。

ちなみに、古代においては、神霊は荒魂(あらみたま)と和魂(にぎみたま)という霊魂から成ると信じられ、荒魂は人間生活の促進のために活動する魂、和魂は平和をもたらす魂と考えられていたそうです。

 

楼門に向かう階段の両側に、狛犬さんがいます。良い笑顔ですね。


 

手前の建物が、1539年毛利元就によって寄進された重要文化財の拝殿で、奥の建物が、1370年大内弘世によって再建された国宝の本殿です。


本殿は、九間社流れ造りといい、五社殿を合の間でつないだ九間でつくられています。檜皮葺に千歳破風をのせた春日造りと流れ造りを組み合わせた建物です。

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唐戸へ

関門橋が見えます。橋の向こうは、九州です。


唐戸とその周辺には維新以降に建てられた魅力的な洋館が並びます。その中から、旧秋田商会(現下関観光情報センター)の外観と、その隣にある郵便局を見ました。すぐそばには、1901年に建てられた重要文化財の旧英国領事館もありますが、残念ながら、改修工事のため外観もすっぽり包まれて見れませんでした。

歩道橋から見て、右側に旧秋田商会の建物が、小道を挟んで、下関南部町(なべちょう)郵便局が建っています。

旧秋田商会

1915年に建てられた事務所兼住居の建物です。2、3階が和室の住居だったそうで、屋上には日本庭園と日本家屋がのっかっているおもしろい造りになっています。普段は、内部を公開していますが、年末なので閉まっていました。


下関南部町(なべちょう)郵便局

1900年に建てられた下関に現存する一番古い西洋建築です。現役の郵便局としては、日本最古です。郵便局の角には、当時の漆喰の天井や装飾物が展示してあります。

外壁のレンガは厚さ60センチだそうで、併設されているカフェには、当時の内壁が見れます。中庭もそのままにしてあって、夏にはゆったりとお茶を楽しむことができそうです。

郵便局で切手を買い、バスを待つ時間、オリジナルカレーをいただきました。

投稿者 raumraum : 11:29 PM | コメント (0)

October 19, 2009

北京 6日目:中国伝媒大学広告学院デザイン専攻2年生

本日、中国伝媒大学広告学院での初授業。
2年生対象の授業でしたが、こちらの大学では、1年生は教養科目しか受けず、新学期も9月始まりなので、2年生といってもまだほとんど知識もスキルもないのだそうです。

広告学院ということもあるのでしょうが、日本以上に、それも遥かに市場経済主義で、目先のスキルが重視されているようです。良い作品をつくることとか、賞を取って社会的評価を受けることといったこと以上に、就職できるかが、まず何より重要なのだそうです。

日本でも、現在の就職難は、専門をこだわってられない、職にありつければいいというところがありますが、中国の貧富や生活階層の違いは、日本の現在の経済的危機のそれとは、比べられないもので、その専門で職を得るかどうか、まずなによりも、お金になるかどうかという問題は大きいのでしょう。

それと、一般におけるデザインへの理解はなく、ロゴをつくったぐらいでは「なにもしていないじゃないか」ということで、クライアントがお金を出してくれないそうです。そのため、ある程度派手なことをしないと、という傾向にあるようです。

こちらに着いて、先生方との打ち合わせの感触から、初日の授業の内容は、大幅に組み替えてみましたが、今日の感触をみていると、それでも学生にとって抽象的だったかもしれません。なかなか抽象度の高い話は、通用しなさそうです。

もっとも、日本の学生も、大学に入ってくるときには、「絵を描くのがすきだからデザイン学科にきました。CDジャケット、ポスター、パッケージをつくりたい!」というレベルだから、そんなにちがわない部分もあるのかもしれません。

明日は3年生の授業ですが、冒険として、もう一度概念的な話をしてみるか、思案中。

急遽大幅に内容を変えたことで、うちの学生にも作品のデータを送ってもらったりしました。協力してくれた人達、謝謝。

投稿者 raumraum : 09:10 PM | コメント (0)

October 16, 2009

北京 3日目

建国門→[地下鉄]→国貿→SOHO建外→第22芸術区(今日美術館、ギャラリー等)→国貿→[地下鉄]→建国門→中国伝媒大学(打ち合わせ・歓迎会)

本日は、建築ラッシュの国貿周辺へ。テレビ局や貿易センターが乱立する地区。レム・コールハースや山本理顕の建築が並ぶ。

 

 


山本理顕の「建外SOHO」。集合住宅群だが、かなりオフィスとして使用されている模様。




Skidmore, Owings & Merrill (SOM) 社による建築。中国ワールドトレードセンター。74階の高層ビル。






コールハースのCCTV局。奥に見える黒いシルエットが焼けてしまったTVCC局。巨大なビルの丸焦げは、かなり痛々しい。






国貿駅の周りは、首都高が張り巡らされ上も下ももの凄い交通量。今でも交通規制はしているそうだが、今日は風がひどいことも加わって、もの凄い砂埃。さらに南下し、川を渡ると「22院芸術区」が見えてくる。






「22院芸術区」は、コンテンポラリーアートを扱う「今日美術館」の他、ギャラリー、デザイン事務所、デザイン&アートショップなどのテナントが入る商業アート地区になる予定らしい。美術館は、オープンしているが、まだギャラリーも5、6カ所しかオープンしておらず、テナントを募集している。

手前の茶色の建物が今日美術館で、黒い建物がギャラリーやショップの入るビル群。美術館の前には、岳敏君[Yue Min Jin]の彫刻が立っている。は、1962年竜江省大慶市生まれ。ユーモラスな、笑う群像の絵やオブジェを制作している。売れっ子なので、あちこちで作品を見かける。



さて、1号館を入ると、正面の展示室は、何やら解体中。隋建国 [Sui JianGuo]の展覧会が前日に終わったところ!!しまった!昨日こっちの見学を先にすべきでした。しかし、美術館がオープンしていても、解体作業は丸見えなので、大きなオブジェの断片が見えた。隋建国も中国現代アートの牽引する大変著名のアーティスト。また、中国の最高峰といわれる、北京の中国美術学院で教鞭をとっている。

3階では、スイス建築の展覧会をやっていた。来年行われる上海万国博覧会のスイスパビリオンの設計等が出ていたが、なんとも、展示がひどくて、これは、がっかりしてしまった。


今日美術館No1.裏にNo.2とNo.3がある。




2号館。建物の左上には、隋建国の恐竜オブジェ。
さて、コレクションの陳列と表示が出ているのだが、入り口を入ると工事現場。「展示が見れないのか?」と聞くと、奥へ案内してくださる。キャプションもないコレクションが、一応展示してある。聞かないと展示があるなんてわからない!





3号館。「巴黎——北京—走向纯粹」という展覧会が開催中。油絵の展覧会で、パリの風景を描いたもの。

。。。という訳で、今日美術館の展覧会自体は、ちょっと期待はずれ。ただ、この場所に来てみて、現代中国の芸術領域の現状を、すくなくとも、北京の様子を、少し肌で感じることができた。明日訪れる798芸術区も観光地化していると、事前に東京画廊さんより伺っているが、新しい高層ビルの建ち並ぶ国貿周辺に、商業的文化地区をつくってしまう。。。というのは、なによりも経済効果を優先している、現在の中国の在り方を象徴している。

正直、キッチュなイメージばかりが先行する中国アートにさほど興味を持てないでいた。しかし、国家や経済の波は余りにも大きく、様々なイデオロギーの制約から脱却することの難しさ、そのために、それらをちゃかすことで、相殺せざるえないのだろうと、途方に暮れるような感覚をもった。




2号館横のミュージアムショップ。



 




内装工事中のギャラリーやショップ。





国貿の高層ビルがみえる。周りはどこもかしこも工事中。


投稿者 raumraum : 10:20 AM | コメント (0)

October 15, 2009

北京 2日目 / the 2nd day in Beijing

建国門→王府井大街→王府井小吃街→王府井大街→東安門街→五四大街→中国美術館→景山公園→北池子大街→南池子大街→天安門東→天安門広場→天安門東→王府井→建国門

忘れないうちに、アップできるものから備忘録。

北京国際飯店(建国門)





ホテルの前の建国門内大街。目抜き通りなので、広い!



建国60周年なので、至る所に。。。右は地下鉄の東単駅


この歩道橋がとても揺れる。大丈夫か。。。


 
ここら辺は、高級ブティックやショッピングモールが続く。


 

王府井大街。北京の銀座という訳でもないが、外国のブランド・ブティックやデパートが建ち並ぶショッピングストリート。


 

 
王府井小吃街。大街(大通り)を脇道に入ったところ。庶民的観光ストリート。安い土産物屋や色々な肉の串焼きの屋台が建ち並ぶ。サソリや虫、ヒトデなどの串焼きがあるとは聞いていたが、ここのことでしたね。
庶民的とは書いたものの、高級繁華街王府井大街のすぐ横で、作られた庶民的脇道という感じがする。前からあるんだろうけど、あまりにも、アジアや中東にありそうな感じ。

この後、王府井大街に戻り、東安門大街まで北上。昼食休憩。

王府井大街をさらにテクテク北上し、五四大街を左折。やけに派手で大きな(中華料理店のような)建物。。。。が、中国美術館



中国美術館の正面。 「国家重大歴史題材美術創作工程作品展」って。。。

歴代の主○の肖像画、戦時下の侵略解放、戦後外圧への抵抗等、全て今回のために制作された現代の壮大な歴史絵巻といった感じ。
それにしても、みんなとてもうまいので、顔を見るだけで、誰だかわかる。

創作展までの工程も年表みたいなものが貼られている。

なんか興味深かった(といってしまっていいのか??)のは、最上階にそれぞれの絵画ができあがる工程(スケッチ、プロトタイプの彩色画、手記等)が展示されている。なんかに似ている。。。と思ったのだが、アニメの制作工程の展覧会みたい。この展覧会自体が、歴史ストーリー制作への綿密な絵コンテ。。。みたいなものでしょうかね。

以後、現代アートと比較する上で、色々と考えさせられた。

さらに西へテクテク、ひたすら歩く。故宮の真後ろ、神武門前に辿り着く。


神武門




その向かい側には景山公園への入口を入る。ここの頂上から、故宮を見下ろす風景は圧巻とガイドブックにある。。。ので、上を見上げて。。。直線距離の急な階段コースと迂回の楽々コースを悩み、、、もうひと頑張り、直線コースへ。




これは確かにすごいですね。




しかし、、、向こうに見えるスクリーン2つ。天安門だろうが、うう〜ん。



北の向こうの方に鼓楼(左図)、東に国貿のCBD(右図)が見える。かすかに、CCTVや貿易センターのシルエットがみえる。

下を歩いているときには予想していたより、スモッグはひどくない。。とは思ったが、上に登ってみると、やっぱりなんかすごい。こんなに見晴らしのいい場所なのに、すぐ霞がかっている。

しばらくして下山。
故宮の外周には筒子河というお堀がある。


 


左手に、筒子池沿いの四合院、右手に神武門




四合院。
まるで、天空に浮かぶ様。



筒子池沿いをジョギングする人。散歩している人も結構いる。

そうか、東京のお堀と同じですね。

筒子池を東手の方に回り、北池子大街、南池子大街を抜けて、天安門広場に向かう。道の両脇には、四合院が並ぶ。故宮の外壁を一歩出ると、そこには洗濯物が干されていたりして、庶民的な風景。


 

天安門のスクリーンの正体は、これも建国60周年のものでした。両脇に四角い大画面、正面に2つ横細の画面。。。右の写真は、有名な毛沢東の顔がある広場ですが、ここは正面には立ってはいけないので、横から。

それにしても、故宮、天安門、ここら辺は、中国の人にとっても、一生一度の観光地だから、黒い頭だらけ。押し合いへし合い。ぐったりする。

私も、観光客だから文句はいえないが、興ざめというか、申し訳ないが疲れてしまう。

前門の先まで南下するのは、もう無謀とあきらめる。歩いてホテルに戻るのは、しんどいので、初地下鉄。

 

地下鉄の通路。
おや、オダジョー(の映画)と思って、さらに左に曲がると「TSUBAKI」。
なんだか、見た顔いっぱい。

地下鉄は、まず入るところで、荷物検査。
デポジット付きのICカードを買うか、1回券を買うか悩んだ末、どのぐらい乗るわからないので、1回券を買う。2元(30円)だし。。。

地下鉄は、電車もすぐ来るので便利だった。ただし、もの凄く混んでいる。

今日は、朝9:30〜19:00まで、途中の昼食と夕食を抜かして、ずっと歩きっ放し。なんとなく、土地勘、距離感を得る。


投稿者 raumraum : 11:14 PM | コメント (0)

October 14, 2009

北京着 / Arrival in Beijing

結局いつものごとく徹夜。朝5時前に自宅を出て、成田へ。

成田空港→北京首都空港

12:30頃、北京首都空港着。
オリンピックに合わせて作られた新しい第3ターミナルに着く。
一応オリジナルの設計はノーマン・フォスターらしいが、さまざまな国際的建築家とコラボレートしているArupとの共同作業のよう。
あんまり、きちんと見てこなかったら、南京に移るとき(ここ使うのか?)もう一度見よう。

初中国。初北京。
お迎えの万(ワォン)さんと段さんにお会いする。
幸いなことに、秋晴れ快晴。
でも、こんなにあたたかいのはひさしぶりだそう。

ホテルまで送っていただく。
途中、CBD(Central Business District)の脇を通る。
レム・コールハースの建設中CCTV(テレビ局)と
その脇に、同じくコールハースの、無惨にマル焦げのTVCCの巨大ビル。
旧暦の正月の花火で焼けちゃったとか。

CBDをすぎて、距離にして数駅ぐらいいった建国門近くのホテルに到着。
ちなみに、この道をそのままいくと、左手に北京駅、前方に王府井。
さらに先に進むと天安門広場だそう。



ホテルの窓から。左が建国門外街という大通り。
とにかく、何でも広い。大きい。

夕飯は、王府井を入ったところの庶民的な店。
三鮮包、緑豆粥、菜の花の炒め物。悪くないが飽きてしまう。
ショッピングモールで、ミネラルウォーターと菓子パンを買い、
ホテルに戻る。

投稿者 raumraum : 09:22 PM | コメント (0)

February 20, 2009

ケルン ・ネオナチ撃退  / Köln gegen Nazis!

昨日ちょうど来日されているケルン・インターナショナル・スクール・オブ・デザインのミヒャエル・エルホフ先生とウタ・ブランデス先生より、痛快な話を伺った。

エルホフ先生は「私は、ケルンという街を愛してやまない。私がケルンを愛さずにはいられないわけといえば」と、話され始めた。

昨年9月、ケルン市議会の極右会派「親ケルン」(ネオナチ)の呼びかけによって、オーストリア、イタリア、フランスといった周辺国から各極右党員を集める、1500人規模の集会を予告された。ここ数年ケルンでは、市の西部に巨大なモスクの建設計画があり論議されている。 それを契機として、「反イスラム化国際会議」と称した集会を企てたのである。

エルホフ先生の話によれば、その企てに、ケルンは市民全体がユーモアをもって、立ち向かったというのである。先生のお話や地元新聞のネットから当時の様子をまとめたものが次の通りだ:

クナイペ(居酒屋)を中心とした120余りの飲食店では、「Kein Kölsch Für Nazis !(ナチスにやるケルシュはない)」[Kölsch とは、ケルンの地ビール]という文言の印刷された20万枚コースターがおかれ、Köln Kneipenkultur gegen Rechts(右派に対抗するケルン・クナイペ・カルチャー)という一つのキャンペーン運動が展開された。

クナイペには、ライヴスペースや劇場なども併設されていたりすることが多々あり、アーティストや文化人達もクナイペや屋外でさまざまな催し物を開催し、そこにも「ナチに聴かせる音楽はない」といった同様の文言を掲げた。宿泊施設にもタクシーにも同じような掲示、ポスターなどが貼られ宿泊乗車を完全拒否した。

KEIN KÖLSCH FÜR NAZIS
In den letzten Wochen haben sich Kölner Gastronomen und Kulturschaffende zusammengeschlossen, um den Protest dagegen nicht nur den üblichen politischen Gruppen zu überlassen, sondern ihn mit möglichst vielen Menschen aus dem kulturellen Leben Kölns zu unterstützen.

Stand der Dinge:
Wir haben das Motto „Kein Kölsch für Nazis“ gewählt und Plakate sowie Bierdeckel drucken lassen. An der Aktion beteiligen sich mittlerweile über 127 Kneipen, über 90 Künstler, Bands und Labels. Mittlerweile hängen über tausend Plakate in Gaststätten und an Litfasssäulen. 200 000 Bierdeckel liegen in den Gastronomiebetrieben aus.

ナチスにやるケルシュはない:
この数週間来、ケルンの飲食店や文化に携わる人々は、従来のような政治的団体に任せるのではなく、ケルンの文化的生活(kulturelles Leben Kölns)から、できる限り多くの人々が支援できるような方法で、これ(極右集会)に抗議しようと決断した。

「ナチスにやるケルシュはない」というモットーのもとビールのコースターとポスターを印刷し、いまや127店以上のクナイペと90人以上のアーティスト、バンド、レーベルがこのアクションに参加している。その間に、飲食店や街中の広告板には1000枚以上のポスターが貼られ、飲食店には20万枚のビール・コースターが配られた。
Köln Kneipenkultur gegen Rechts(右派に対抗するケルン・クナイペ・カルチャー)より

また、WDRをはじめとするテレビ局、ラジオ局、地元新聞と連携し、キャンペーンは街全体に広がった。(*WDR:ケルンにある西ドイツ放送局。ケルンには全国ネット主要テレビ局が集まっている。)

政治の現場においても、直接衝突するのではなく、他の政党などが会議に使われそうなあらゆる場所を先取りで使ってしまい、集会が行われそうな場所を全て埋めてしまった。ありとあらゆる会場から閉め出された極右勢力は、しかたなくライン川の船を借りたが、船長が川の真ん中で、「エンジンが止まってしました」と言って、船を止めてそれ以上動けないようにしてしまったという。

この集会に対抗するさまざまな他の政党や市民約4万人からなる大規模のデモが旧市街のホイマルクトに集結。極めつけは、ケルンに伝わる聖ウルズラと11000人の乙女(処女)たちの伝説にまつわるアクションである。中世、聖ウルズラは11000人の乙女を同行させ、巡礼の途中に立ち寄ったケルンで、そこを占拠しようとしていたフン族と衝突した。この話にかけて、極右集会に対抗して、11000人のベリーダンサーが踊りまくったのだという。

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前述の居酒屋などが、政治的なできごとに関わるということは、政治や宗教といったさまざまな立場から自由であろうとする場所として、従来ならばありえない。しかし、ドイツの背負う負の歴史に対しては、人々の人権や文化を奪うような行為には、再度の過ちを犯すことを、自ら許さない。入る隙を与えない。一昨年の大聖堂に設置されたリヒターのステンドグラスへの大司教の失言(「退廃芸術」と称した。)に対してもそうであった。ケルンという街は、とにかく活動都市である。政治は生活のすぐ隣にあり、文化も全ては自分たちの日常の街の中で湧き上がってくる。

参照したウェブサイトは下記の通り:

flickr上に投稿されている当時の画像

Köln Kneipenkultur gegen Rechts(右派に対抗するケルン・クナイペ・カルチャー)

netz-gegen-nazis.de(ナチスに対抗するネット.DE)

Köln Stadt-Anzeiger(ケルン・シュタッド=アンツァイガー紙)

tagesspiegel(ターゲス・シュピーゲル)

投稿者 raumraum : 08:25 PM | コメント (0)

October 13, 2008

琴平・丸亀・直島・犬島・高松 / kotohira・marugame・naoshima・inujima・takamatsu

今年の夏期旅行。直島・高松周辺。すでに一ヶ月経ってしまったが、少しメモ。

9/10: 東京→高松空港→琴平→丸亀→宇野港→直島
9/11: 終日直島:朝食港近くで→ベネッセ・ミュージアム→野外作品散策→地中美術館→ベネッセハウス・パーク→夕食
9/12: 直島:朝食ベネッセハウス・パーク→犬島→直島:家プロジェクト散策→野外作品散策→ベネッセハウス・ミュージアム→夕食
9/13: 直島→高松港→昼食(もちろん讃岐うどん)→イサム・ノグチ庭園美術館→高松駅→高松空港→東京

9/10
琴平:

午前中割と早く到着する便で高松空港へ。まずはバスで琴平に直行する。何百段とあるという金比羅宮への噂の階段。階段はせまく両脇にびっしりと土産物屋さんが立ち並ぶ。無料で杖も貸してくれる。内輪や帽子が売っているのも納得。汗だくで大変だった。階段の上にかけられた白い布の日よけが、なかなかのおもむきのあるものだった。金比羅さんの入り口までくると、琴平の街が見渡せる。

金比羅さん、あちこちに○金マーク。お守りも金色ならぬ、黄色だった。(なかなか晴れやかで欲しくなりました。買わなかったが。。。たぶん鮮やかな黄色がいっぱい並んでいるから欲しくなるのだ。)歴史のある神社だが重々しい空気はなく軽やかで、本宮からの眺望は上った甲斐あり。さすがに奥宮まではいかなかった。

瀬戸内のせいか、海洋にまつわる写真や札などが沢山ある。アルミ缶リサイクルで制作されたソーラーボートが展示してあった。その上には、なぜか宇宙飛行士だった秋山さんの写真入り木のパネルも。

応挙がギメに行っているのは知っていたが、高橋由一まで行っちゃってありませんでした。(涙)まあ、一度東京でみているからいいか。応挙はまた次回ぜひともみたいものです。

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丸亀:
琴平から丸亀へ移動。丸亀市猪熊弦一郎現代美術館へ。この美術館は猪熊の「芸術は人々の生活の拠点にあるべき」という思想のもと、駅前からの環境計画も含め設計されている。建築は谷口吉生によるもの。2度目の来館。自然光の中での鑑賞もそうだが、なによりただただこの空間内を歩くの楽しい。近くにあれば、ちょっと寄って展示を見たり、カフェでゆっくりお茶をしたい。そういう美術館は日本は少ないですね。欧米だと、美術館にたいていすてきなカフェやレストランが併設されているのですが。

ちょうど、ピピロッティ・リスト(Pipilotti Rist、1962ー、スイス )の展覧会をやっていた。原美術館からの巡回のようだが、はるばる香川でみてしまった。ちなみに丸亀での展覧会名は「ピピロッティ・リスト:ゆうゆう」、原美術館のは「ピピロッティ・リスト:からから」

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丸亀→直島

丸亀から高松港へ出て、直島行きのフェリーに乗る予定だったのだが、、、同時刻発車の別の列車に乗ってしまった!!何駅かすぎて間違いに気づき、次の駅で降りようとしたが、なんと海。。。瀬戸大橋を渡ってしまった。(なんのために高松に飛んだのか。本州に戻ってしまった。)しょうがないので岡山側の宇野港にでて、直島へ。でも、瀬戸内海を渡るのは、海がきれいでした。だから得したのでしょう。初日からハリキリ過ぎでした。

初日の宿泊はベネッセハウス・ミュージアム。愛すべきソル・ルウィット(Sol LeWitt 1928-2007、アメリカ)のリトグラフが飾ってある部屋でした。堪能。。。

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9/11
ミュージアムの作品をざっとみる。ミュージアムのメインギャラリーから屋外に出ると杉本博司の水平線シリーズ「Seascapes」が展示されている。通常写真は照明も暗い屋内に展示されているが、ここでは劣化も恐れず、海の見えるテラスに設置されている。考えてみれば写真は光を取り込むメディウムで、それが太陽光のもとにおかれているのは、なにか自然なことのように感じた。モノクロ写真の中の水平線の向こうに、本当の海と水平線が見える。なにか写真にその色が映り込んでいるような気がした。

その後、ベネッセ敷地内に設置されている小型モノレールでベネッセ・オーバルへ。宿泊していないので外観のみの見学。楕円型に配置された各部屋への入り口のある建物の内側には水があり、屋根の部分は緑が植えられて、つたの緑と水と壁面の青の空間へ。

その後、野外彫刻の散策をしながら地中美術館へ。

ここには、モネ、ジェームス・タレル、ヴァルター・デ・マリアの作品だけが展示されている。

タレルは久しぶりだったが、いつものように目の仕組みにだまされ、おお〜と楽しむ。モネ堪能。

早めに2日目以降の宿泊先であるベネッセハウス・パークへ。この日は休息日。ベネッセハウス全体が、美術と建築と自然を楽しみながら休息してほしいというコンセプトなので、部屋にはテレビもなくそのかわりBoseのCDプレーヤーがおかれている。紅茶、日本茶、コーヒー、ミネラルウォーターも好きに飲めるようになっていて、部屋でもゆっくりくつろぐことができる。各部屋ともテラスがあるし、朝も夜もテラスに椅子を置いてお茶と会話を楽しんだりできる。他の部屋では読書に耽っている人もいた。この日の部屋にかけられていた作品は、李禹煥のリトグラフ。

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9/12


朝食を終えると、フェリーで犬島へ。

犬島の詳細はまた別のページに割くとして、午前中は犬島製錬所を見学しお昼をとって、再び直島へ戻る。

午後から家プロジェクトをまわる。1時間半ぐらいで全て回れる。

地元の方々がボランティアでいらして、家を回るごとにちょっとしたことが聞けたりする。ちょうど千住博の作品が、作家の意向で制作し直しということで、母屋が閉鎖中なのだ、ということを係の初老の男性が話してくださった。「我々からすればせっかく作ったものをもったいない」などという感想を伺う。たわいもない裏話を地元の方と訪問者がかわす。そういう何気ないことがなにか土地の根っこを育てていく。

昨年ドクメンタに訪れた際にも随分と地元ボランティアが増えて、来訪者とコミュニケーションを持つことになれているなと思ったが、そういった本当にごく普通のたわいもない日常の行為の中に、芸術はあるべきだと思う。アートもごく普通の暮らしの中に根づく文化の一角なのだから。

家プロジェクトを見終えて、パークへ戻る。少し休んで残りの野外彫刻をみながらミュージアムへ向かう。ミュージアムでもまだ見ていない作品や、もう一度見たい作品を見直し、その後夕食。宿泊者は23:00ぐらいまでミュージアムの作品が見れたはず。それがミュージアムと住まい(宿泊施設)が一緒にあるすてきな贅沢。

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9/13
チェックアウト後、ミュージアムのカフェも試してみたくて、ブランチをとる。

バスに乗るために2Fのカフェから慌ただしく螺旋の廊下を下ろうとしたとき、家族が「あっ」という。コンクリートの隙間に、須田悦弘の雑草発見!!この旅で観た須田さんの作品には、ちょっと違和感を感じる部分もあったのだが、彼の雑草を見つけてほっとする。これでなくて。。。ああ〜、見つかってよかったと安心してみたりする。

港に向かい、フェリーで高松へ移動。荷物を駅に置いて、もちろん昼食は讃岐うどん。その後イサム・ノグチ庭園美術館へ向かう。

イサム・ノグチ庭園美術館を訪れるのは、オープンの際と今回で2度目。この美術館のある牟礼町は庵治石がとれることで有名な場所で、イサム・ノグチはアトリエと自宅を構え、こことニューヨークを行き来していた。移築された日本家屋(自宅)、同じく移築して倉を改造したアトリエなど、ノグチの趣向が随所に表れている。庭には完成作品、未完作品が所狭しと立ち並ぶ。ノグチは一つ一つ石をどの場所に置くか決めていたそうで、今でもその当時の通りそのままの状態でおかれている。自宅の横の石段をのぼると、枯山水を意識した庭園が広がる。右には石舞台、中央にはほっこり草の生えた丘がある。そして、丘の上には石が立てられており、高松の街が見渡せるようになっている。これがまさにその人の眠っている場所でもある。

見学を終えて、再び高松駅に戻り、空港へ。こりずに讃岐うどんを頬張る。そして東京に戻る。


投稿者 raumraum : 11:28 AM | コメント (0)

April 04, 2008

ツォルフェライン / zollverein

zollvereinの記事は書き足したいが、いつまでたってもアップできないので、とりあえず写真だけでもアップ。きっと近日編集し直します!


zollvereinは、エッセン市北部に位置する炭鉱跡で、世界遺産に登録されている。

google map:


fritz schupp + martin kremmerによって設計された炭鉱建物の一群

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museum: red dot museum


red dot museum正面


毎年開催されるred dot award受賞のデザインが列ぶ。
来館者は実際に手に取りながら現代デザインに触れることができる。


当時の構造を活かして展示されている。車が空中に浮いていたり遊園地みたい。


階段の掃除機にいたっては、なんだかわけわからなくなってきていますが。。。
ここはどこ?


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schule: zollverein school of management and design
architekt: SANNA

zollverein school of management and design は、欧州で唯一、マネージメントとデザインを同時に学べるMBA大学院大学として、2005年に設立された。建築を手掛けたのは、日本の建築ユニットSANNA(妹島和世・西沢立衛)。



zollvereinの一角に建っている。写真で見ていた印象よりも小さい。
周りの炭鉱の建物大きいからなおさらだけれども。




四方に四角いガラス窓が並ぶ。外から一見すると、どこから階が変わっているのかわからない。
2面ガラス越しに向こう側の空が見える。


道路の向こう側は普通の住宅地。
1階のカフェテリア。イームズチェアが見える。


投稿者 raumraum : 07:40 AM | コメント (0)

August 12, 2007

一の坂川景観プロジェクト / ichinosakagawa landscape project

この4年ぐらい、山口県の地域プロジェクトに関わってきました。その一環として、この9月8日・9日に映像と音響によって演出する景観プロジェクトを実施します。

プロジェクトのウェブページをアップしたので、興味ある方はどうぞご覧ください。


一の坂川景観プロジェクト"bridginglandscapeー景観に橋をかける"

seit etwa 4 jahre beschaeftige mich ich mit dem community project in yamaguchi prefektur. in diesem rahmen veranstalte ich eine landschaftinszenierung mit projizierten bilder und klaenge. die drei leinwaende werden ueber ichinosakagawa fluss aufgetaucht.
leider kann man nur japanische seite schauen. falls man interesse hat, kann man aber paar bilder schauen.


ichinosakakagawa landscape project "bridginglandscape"

投稿者 raumraum : 09:03 PM | コメント (0)

September 06, 2006

都市のイメージ / eine stadt, vorstellungen und bilder der lokalen orte/ a city, images of local places

8月は山口と東京を4往復した。とても楽しい体験のひとつは、山口県立山口図書館に併設されている山口県文書館での古地図の閲覧。大内の時代から現代にいたる町の変化の推移をみるために、おそらく数十枚見せていただいただろうか。実際には、 「大内時代山口絵図」といっても、大内時代の地図は残っておらず、江戸以降、毛利の時代になってから大内時代の地図を写したものが主である。毛利氏が萩城下から江戸まで向かう際の街道を示した「行程記」、地形に合わせて切り取られた「吉敷郡山口宰判図上宇野令村絵図」、色彩鮮やかな「幕末山口市街図」、時代ごとや用途に応じて(もちろん)地図の描写方法が異なり、都市のイメージをどのように捉えているのか面白い。

ところで、文書館は図書館の領域にあるからだろうが、誰でも気軽に資料の実物を閲覧させていただけるのには、びっくり。美術館だとこうはいかない。普通に常連でこつこつと調査に来られている地元の方々もいらっしゃるようだった。文書の講座も定期的にひらかれている。地域の遺産を身近に享受できるというのは、うらやましいかぎり。東京だとこうはいかない。オンライン・データベースもしっかりしているので、ぜひみてほしい。

in august bin ich 4mal zwischen tokyo und yamaguchi hin und her geflogen. es gab mehrere schöne erfahrungen. ein von besonders spannenden erlebnisse war die durchsicht über alte stadtpläne am "yamaguchi ken monjyokan" (yamaguchi prefectural archives). man kann den wandel der stadt yamaguchi von ouchi-zeit (ouchi war ein dimyo, territorialfürst der stadt yamaguchi vom muromachi-zeit (1392–1573)) bis zu heute. heute existiert der stadtplan von muromachi-zeit nicht mehr. meistens nach der edo-zeit (1603-1868), besonders abbilder von der mori-zeit (mori war auch ein territorialfürst der stadt yamaguchi nach der edo-zeit). aber es gibt unterschiedliche wunderschöne stadtpläne in der verschiedenen art und weise. man kann von database auch viele alte materialien schauen.

投稿者 raumraum : 02:02 AM | コメント (0)

June 02, 2006

in 山口 / in yamaguchi

5月末から6月初めに2週連続の山口滞在。友人である某美術館学芸員さんとひたすらひたすら仕事の打合せ。またもやまったり温泉につかっている暇がない。

この何年か定期的に山口には来ているが、これまでどこか固定した思考の中で、この土地の空気、空間像を組み立てようとしていた気がする。それがここに来てやっとちょこっとこの地域の空気?をつかんだ感じ。打合せの中で、雪舟についても面白い話を聞いた。ああ〜、やっぱりそうか、っと合点がいく感じ。この秋、再び山口県でプロジェクトを行います。今回は、当初よりいつかはと思っていた山口市なので、楽しみ。。とプレッシャー。

山口市は、室町時代に大内氏が京都に見立てて「西の京」としてつくった街です。例えば、街を南北に結ぶ「一の坂川」は、京都の鴨川に見立てられた室町時代の人口の川です。その後、毛利氏が萩から移ってきたり、歴史的な建造物が多く残る場所です。山口県と言えば、幕末、明治維新にかけては長州藩だった場所ですから、伊藤博文、井上馨、高杉晋作、山県有朋、木戸孝允といった人々を排出した場所でもあり、山口市にも、彼らが滞在した当時の民家(十朋亭)、料亭(菜香亭)といった昔ながらの日本家屋や、こりゃ国会議事堂のミニチュア版かい?というようにりっぱな旧県庁や旧県会議事堂(ともに重要文化財)等も残っています。

gijido

旧県会議事堂 / ehemaliges präfekturparlamentsgebäude/ former prefecture conference hall


そして何よりもうらやましいのは、そういった時代の積層と現代がうまく混在している点。実は、政治の表舞台となってきた場所だけに、もともと歴史文化の厚みや「ハレ」をもった場所なのだろうけれど、、ウェブなどで調べものをしていると、県の文化財アーカイブ(テキスト、画像、動画)なども割と豊富に公開されていて感心します。東京からだと遠方なため、意外と皆さん知らないのですが、とても魅力的な街です。

投稿者 raumraum : 01:48 AM | コメント (0)

October 11, 2005

金沢21世紀美術館 / 21. Jahrhundert Museum für Zeitgössische Kunst, Kanazawa / 21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa

まだ、あいにく金沢21世紀美術館には行けていない。今日テレビで開館1周年を迎えた同美術館と周辺地域のリポートが放送されていた。建築は、妹島和世(せじま・かずよ)と西沢立衛(にしざわ・りゅうえ)。立地は抜群で、兼六園にもほど近い市役所の隣に建てられている。美術館の運営自体は、なかなか有料入館者数がのびず難しいようだ。それでも、作家の一過性の制作発表の場にとどまらず、ワークショップの実施など、難しいことはぬきにして、とにかく美術館に来てもらう努力をしているようだ。なによりも、周辺商店街に少しずつにぎわいが戻ってきており、長期的な視点でみると地域一帯の活性化につながっているという。

地域の複合文化施設として成功している例にせんだいメディアテークがある。仙台市の町中に位置し、展示室や視聴覚室のみならず、なによりも地域における文化施設の利用価値を意識した図書館が併設されている。図書館利用者は多く、おそらく「図書館によったついでにちょっと展示室ものぞこうか」という人も少なくないのではないだろうか。地域の住民が通いなれること、日常生活の一部となっていることがまずは重要である。

「美術とは何か?」といった小難しいこと(?!)を理解してもらおうという努力も必要なんだろうが、まずは、日常生活の中で、「ちょっと寄っていくか」という利用者の「気軽な」意識を育てていくことが大切だと思う。美術だなんだっていうことより、自分たちの文化を育てていく日常生活への提案。

こっからはやっぱりデザインの出番でしょう。。。と思っているんだけどな。

leider habe ich noch nicht das 21. Jahrhundert Museum für Zeitgössische Kunst, Kanazawa besucht. heute gab es im fersehprogramm eine nachricht über das museum und die museumsumgebung für den ersten jahrestag der museumseröffnung. die museumsarchitektur ist von kazuyo SEJIMA und ryue NISHIZAWA geplant. die lage ist ideal - es liegt neben dem rathhaus in der stadtmitte von kanazawa und es gibt in der nähe den sehr berühmten japanischen garten rikugien.

es scheint, der museumsbetrieb ist wegen des magels der zahlenden besuchern nicht leicht. aber das museum bemüht sich um kontinuierliche aktivitäten wie die veranstaltung des workshops damit möglichst viele besucher ohne komplizierte gedanken ins museum kommen. vor allem sind einkaufstrassen wieder lebenhaftiger geworden und auf die dauer erreicht es die regionale aktivierung.

als das gelingende beispiel von cultural arts complex gibt es sendai mediathek in der stadtmitte von sendai. das gebaude ist verschiedene räumlichkeiten angegliedert wie ausstellungsräume, mediathek, vor allem, bibliothek mit der höhen alltäglichen nutzwert. vermütlich gibt es viele besucher, die nebenbei mit dem bibliotheksbesuch die ausstellungen besichtigen. die einwohner gewöhnen sich daran, dort zu besuchen - dass der mediatheksbesuch für sie ein teil des alltags ist - das ist zunächst sehr wichtig.

wahrscheinlich sei die mühe mit der "umständlichen" aufklärung "was ist kunst ?" auch notwendig. aber ich denke, das leichtlebige gefühl "nebenbei besuchen" von besuchern wachsen zu lassen, ist zuerst wichtig. darüber hinaus ist es mit den vorschläge für die kulturförderung im alltag verbunden mehr als allein "was kunst ist".

dafür übernimmt die gestaltung von nun an mehr aufgaben..., denke ich daran stärker in der letzten zeit..

投稿者 raumraum : 03:55 PM | コメント (0)

September 19, 2005

堀川遊覧 / ausflugsboot von horikawa / boating excursion of horikawa

horikawayuran
2005/09/10
堀川遊覧 / ausflugsboot von horikawa / boating excursion of horikawa

投稿者 raumraum : 01:56 AM | コメント (0)