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December 29, 2009

長門国散策 / Spazierengang in Nagato-no-Kuni

山口県は、公私にわたり定期的に来ているけれど、いつも同じ場所ばかり訪れているため、意外と行っていない場所がほかに沢山あります。今まで行っていておかしくないのに、実は初めてだったのが、下関一帯、長門国。

まず、足を伸ばしたのが長府の城下町。

長府は、「長門国府」の略。土地の記録が歴史上表れるのは、『古事記』『日本書紀』と古く、仲哀天皇(古事記に出てくるが実在不明)の仮皇居として豊浦宮(現長府忌宮神社)が建てられたと記述されているそうです。中世には、大内氏の下で、そして、大内氏が滅亡した後には初代藩主を毛利秀元(元就の四男穂田元清の子)とした長府藩の城下町として栄えました。維新に際しては、高杉晋作が功山寺で挙兵したことでも知られます。

美術史ゆかりの人としては、狩野芳崖が長府藩のお抱え絵師で、覚苑寺には銅像も建っているようです。

山口県には3つの国宝建築があるそうですが、そのうち2つが長府にあります。

功山寺
まず訪れたのは、功山寺。

 

山門を上っていく。とても手入れの行き届いて、木立の間から木漏れる冬の日差しが美しかったです。


 

国宝功山寺仏殿。鎌倉時代末期にあたる1327年の創建で、二重屋根入母屋造りの桧皮ぶきが特徴の、典型的な唐様禅宗式建築で、同種の建築物としては、日本最古のものと言われています。同じ様式としては、鎌倉円覚寺の舎利殿が同じ様式だそうです。桧皮ぶきは、30年に1度葺きかえられているようです。


法殿入り口の杉戸絵は、狩野芳崖の父、狩野晴皐によるものです。普段から使用されている場所なので、前にものがおいてあって、よく絵が見えませんでしたが。。。しかも、由来に気がついたのが、お寺を出た後でした。


 

法殿から書院「五卿潜居(ごきょうせんきょ)の間」へと渡ると、お庭が見えます。小さいですけれど、美しいことで知られている有名なお庭だそうです。いやしかし、日本の庭園というのは、本当に小宇宙のあつまりですね。奥床しく趣のある素敵なお庭でした。

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住吉神社
長府にあるもう一つの国宝建築が、この神社の本殿。住吉神社は、全国にありますが、この神社のご由緒も古く、仲哀天皇の妻、神功皇后が住吉大神の荒魂を祀るために祠を建てたのが始まりと言われているそうです。

ちなみに、古代においては、神霊は荒魂(あらみたま)と和魂(にぎみたま)という霊魂から成ると信じられ、荒魂は人間生活の促進のために活動する魂、和魂は平和をもたらす魂と考えられていたそうです。

 

楼門に向かう階段の両側に、狛犬さんがいます。良い笑顔ですね。


 

手前の建物が、1539年毛利元就によって寄進された重要文化財の拝殿で、奥の建物が、1370年大内弘世によって再建された国宝の本殿です。


本殿は、九間社流れ造りといい、五社殿を合の間でつないだ九間でつくられています。檜皮葺に千歳破風をのせた春日造りと流れ造りを組み合わせた建物です。

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唐戸へ

関門橋が見えます。橋の向こうは、九州です。


唐戸とその周辺には維新以降に建てられた魅力的な洋館が並びます。その中から、旧秋田商会(現下関観光情報センター)の外観と、その隣にある郵便局を見ました。すぐそばには、1901年に建てられた重要文化財の旧英国領事館もありますが、残念ながら、改修工事のため外観もすっぽり包まれて見れませんでした。

歩道橋から見て、右側に旧秋田商会の建物が、小道を挟んで、下関南部町(なべちょう)郵便局が建っています。

旧秋田商会

1915年に建てられた事務所兼住居の建物です。2、3階が和室の住居だったそうで、屋上には日本庭園と日本家屋がのっかっているおもしろい造りになっています。普段は、内部を公開していますが、年末なので閉まっていました。


下関南部町(なべちょう)郵便局

1900年に建てられた下関に現存する一番古い西洋建築です。現役の郵便局としては、日本最古です。郵便局の角には、当時の漆喰の天井や装飾物が展示してあります。

外壁のレンガは厚さ60センチだそうで、併設されているカフェには、当時の内壁が見れます。中庭もそのままにしてあって、夏にはゆったりとお茶を楽しむことができそうです。

郵便局で切手を買い、バスを待つ時間、オリジナルカレーをいただきました。

投稿者 raumraum : December 29, 2009 11:29 PM

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