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October 26, 2008

追記:ダニ・カラヴァン展 / edit: dani karavan

身の回りの人たちの『ダニ・カラヴァン』展評を聞いての補足。たまたま私が話をした人たちがそうだったのだろうが、結構はじめて『ダニ・カラヴァン』の作品の全貌を初めて見た人たちも多かったようで、世界初公開であったテンペラ画、舞台資料やレリーフはおもしろかったが、カラヴァンの代表的環境造形については、さっぱりわからなかったという意見を多く聞いた。

「ええっ!」と耳を疑ったが、理由として、カラヴァンの作品の内容以前に、じっと映像を見ていられなかったらしい。そのため、作品本体がどういうものかもわからず、模型をみても関連性がつかめない、ということのようだ。

これは、実物そのものの展示が難しいものの二次資料の見せ方や映像による展覧会の組み立てが、まだまだ必ずしも理想的な手法を見いだすに至らないからであろう。テレビや映画のように、座ってみることを前提にした「観る」映像と、動きながら体験していくための映像演出は、あきらかに違う方法で取り組まなければ成り立たない。また、模型などの見せ方も、模型に対するリテラシーがない人は、思った以上に実感がわかないようなのだ。体験を演出するための展覧会デザインの難しさを再度痛感。

それと、私はたまたまカラヴァンの仕事を見知っているので、大作に付随した模型やドローィングを、作品そのものと比較しながら大変興味深く拝見した。しかし展覧会を楽しんだゆえに、ちょっと残念だったのは、図録にそれらの二次資料のキャプションがなかったこと。なかなかこういう大回顧展はないので、細部の情報もぜひ網羅してほしい。

基本的に私自身は、かなり展覧会を堪能してきたので満足しました。

投稿者 raumraum : 07:12 PM | コメント (0)

October 13, 2008

ダニ・カラヴァン展 / dani karavan

世田谷美術館で開催されている「ダニ・カラヴァン」展(2008年9月2日 -10月21日)に行ってきました。テル・アヴィヴ美術館(イスラエル・テル=アヴィヴ)とマルティン・グロピウス・バウ(ドイツ・ベルリン)を巡回してきた回顧展です。カラヴァンが展示のデザインも手がけ、美術館の空間にあわせたインスタレーションが観られます。また、世界初公開となる初期のテンペラ画や挿絵、壁画や舞台美術資料、レリーフや彫刻など、代表的な環境造形の制作に至るまでの過程を丹念にたどることができます。世界各地で実現した恒久設置作品や一過性のプロジェクトが模型や映像資料とともに堪能できるので、カラヴァンの仕事をあまり知らない人でも全貌を知る良い機会だと思います。

カラヴァンの環境造形といえば、石、柱、レールといったユダヤという出自にまつわる歴史や文化的な背景とその暗喩を含みます。しかし、単にモニュメンタルな彫刻を制作している訳ではなく、なによりも体験のためのプロセスということが重要な作家です。恒久的な作品では、その体験プロセスそのものが強い象徴性をもち、ときに困難な歴史的重さ、ソリッドなイメージがありますが、この展覧会では砂、足跡、映像といった一過性のモチーフを使い、その会場ならではのインスタレーションを試みています。そのため、象徴性以上に体験そのものの微妙な組み立てを感じることができます。写真や映像でみる限り、回顧展とはいえイスラエルとドイツでも会場にあわせたインスタレーションを制作しており、同じように砂などを使っていても随分と空気が違うように思えました。インスタレーションの規模もあちらの方が大きいようですし(なんか全ての会場を体験してみたかったです。)

なによりも興味深かったのは、初期のテンペラ画にはじまり、壁画や舞台美術資料にみられるカラヴァンのバックボーン。絵の非常にうまい人なのですね!テンペラ画の色彩はクレーの絵のようです。環境造形にみられる絵画的な立体性や体験の組み立て方というものが、これらの基礎に成り立っているとは、とても納得いくことであり、数々の代表作にいたる思考・制作のプロセスをまるで可視化しているようでした。彼の作品をみるといつも同時にルイス・カーンを思い出すのですが、今回のレリーフ、壁画などのプロセスをみると、なんだかイサム・ノグチにもつうずるものがあるなと思いました。展覧会カタログによると、実際にカーンにもノグチにも影響を受けたそうで、とくにノグチがカーンと共同で計画したプレイグラウンドの模型から感銘を受けていたようです。ブランクーシにも影響されたとか。ああ〜、イチイチ納得。(クリストフ・ブロックハウス著『パブリック・コミッション ー ダニ・カラヴァンによるサイト・スペシフィックな環境芸術』本展覧会カタログ所収)単に作品のモノグラフというよりは、一人の作家の思考の個人史のようでおもしろかったです。

それから、ちょうど90年代にカラヴァンが来日して各地で大きな巡回展が開催された際に、個人的には国内にいなかったせいもあり、この頃から近年まで日本の各地にいくつもの恒久作品が制作されたことを知りませんでした。ドイツでみていた作品とは、どうもずいぶんと印象が違う気がするので、そのうち現地それぞれに赴いてみたいと思いました。

それと、ぜひ観てほしいのは<パサージュ、ベンヤミンへのオマージュ>(ポルトボウ・スペイン、1990-94)のための部屋。(1940年ベンヤミンは、ナチスの手から逃れるべく合衆国への亡命を試み失敗、ポルトボウで自殺。この作品はベンヤミンの墓の近くに設置されている。)作品のためのドローイングが観れ、壁にはベンヤミン最後の重要な論考『歴史の概念について』からの引用があります。キャプションによるとドローイングは、デュイスブルグ市のレーンブルック美術館(Wilhelm Lehmbruck Museum, Duisburg)だったようですが、(うう〜んカタログ見直したが出ていない。うろ覚えて書いてはいけないが)ドイツの美術館に所蔵されているというのが因縁、いや、さすが戦後のドイツだと思います。


「この文化財と呼ばれるものが文化の記録であることには、それが同時に野蛮の記録でもあるということが分ちがたく付きまとっている。」(『歴史の概念について」VII、「ベンヤミン・コレクション I 近代の意味」ちくま学芸文庫、1995)


ちなみにイスラエル(イスラエル美術館)にはパウル・クレーの「新しい天使(アンゲルス・ノーヴス)」(ベンヤミンが購入して私蔵していたもの)がありますが、テル=アヴィヴでの展示では、この作品が一緒に展示されていた?らしい、展示会場に同作品がおかれている写真がありました。

マルティン・グロピウス・バウで開催された展覧会についてのヴィデオ。
カラヴァン自身のコメントが聞けます。(学芸員のコメントはドイツ語、カラヴァンは英語)
Video: Dani Karavan – Retrospektive Martin Gropius Bau
(Dani Karavan, Berlin, 2008.03.15)

投稿者 raumraum : 09:18 PM | コメント (0)

琴平・丸亀・直島・犬島・高松 / kotohira・marugame・naoshima・inujima・takamatsu

今年の夏期旅行。直島・高松周辺。すでに一ヶ月経ってしまったが、少しメモ。

9/10: 東京→高松空港→琴平→丸亀→宇野港→直島
9/11: 終日直島:朝食港近くで→ベネッセ・ミュージアム→野外作品散策→地中美術館→ベネッセハウス・パーク→夕食
9/12: 直島:朝食ベネッセハウス・パーク→犬島→直島:家プロジェクト散策→野外作品散策→ベネッセハウス・ミュージアム→夕食
9/13: 直島→高松港→昼食(もちろん讃岐うどん)→イサム・ノグチ庭園美術館→高松駅→高松空港→東京

9/10
琴平:

午前中割と早く到着する便で高松空港へ。まずはバスで琴平に直行する。何百段とあるという金比羅宮への噂の階段。階段はせまく両脇にびっしりと土産物屋さんが立ち並ぶ。無料で杖も貸してくれる。内輪や帽子が売っているのも納得。汗だくで大変だった。階段の上にかけられた白い布の日よけが、なかなかのおもむきのあるものだった。金比羅さんの入り口までくると、琴平の街が見渡せる。

金比羅さん、あちこちに○金マーク。お守りも金色ならぬ、黄色だった。(なかなか晴れやかで欲しくなりました。買わなかったが。。。たぶん鮮やかな黄色がいっぱい並んでいるから欲しくなるのだ。)歴史のある神社だが重々しい空気はなく軽やかで、本宮からの眺望は上った甲斐あり。さすがに奥宮まではいかなかった。

瀬戸内のせいか、海洋にまつわる写真や札などが沢山ある。アルミ缶リサイクルで制作されたソーラーボートが展示してあった。その上には、なぜか宇宙飛行士だった秋山さんの写真入り木のパネルも。

応挙がギメに行っているのは知っていたが、高橋由一まで行っちゃってありませんでした。(涙)まあ、一度東京でみているからいいか。応挙はまた次回ぜひともみたいものです。

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丸亀:
琴平から丸亀へ移動。丸亀市猪熊弦一郎現代美術館へ。この美術館は猪熊の「芸術は人々の生活の拠点にあるべき」という思想のもと、駅前からの環境計画も含め設計されている。建築は谷口吉生によるもの。2度目の来館。自然光の中での鑑賞もそうだが、なによりただただこの空間内を歩くの楽しい。近くにあれば、ちょっと寄って展示を見たり、カフェでゆっくりお茶をしたい。そういう美術館は日本は少ないですね。欧米だと、美術館にたいていすてきなカフェやレストランが併設されているのですが。

ちょうど、ピピロッティ・リスト(Pipilotti Rist、1962ー、スイス )の展覧会をやっていた。原美術館からの巡回のようだが、はるばる香川でみてしまった。ちなみに丸亀での展覧会名は「ピピロッティ・リスト:ゆうゆう」、原美術館のは「ピピロッティ・リスト:からから」

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丸亀→直島

丸亀から高松港へ出て、直島行きのフェリーに乗る予定だったのだが、、、同時刻発車の別の列車に乗ってしまった!!何駅かすぎて間違いに気づき、次の駅で降りようとしたが、なんと海。。。瀬戸大橋を渡ってしまった。(なんのために高松に飛んだのか。本州に戻ってしまった。)しょうがないので岡山側の宇野港にでて、直島へ。でも、瀬戸内海を渡るのは、海がきれいでした。だから得したのでしょう。初日からハリキリ過ぎでした。

初日の宿泊はベネッセハウス・ミュージアム。愛すべきソル・ルウィット(Sol LeWitt 1928-2007、アメリカ)のリトグラフが飾ってある部屋でした。堪能。。。

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9/11
ミュージアムの作品をざっとみる。ミュージアムのメインギャラリーから屋外に出ると杉本博司の水平線シリーズ「Seascapes」が展示されている。通常写真は照明も暗い屋内に展示されているが、ここでは劣化も恐れず、海の見えるテラスに設置されている。考えてみれば写真は光を取り込むメディウムで、それが太陽光のもとにおかれているのは、なにか自然なことのように感じた。モノクロ写真の中の水平線の向こうに、本当の海と水平線が見える。なにか写真にその色が映り込んでいるような気がした。

その後、ベネッセ敷地内に設置されている小型モノレールでベネッセ・オーバルへ。宿泊していないので外観のみの見学。楕円型に配置された各部屋への入り口のある建物の内側には水があり、屋根の部分は緑が植えられて、つたの緑と水と壁面の青の空間へ。

その後、野外彫刻の散策をしながら地中美術館へ。

ここには、モネ、ジェームス・タレル、ヴァルター・デ・マリアの作品だけが展示されている。

タレルは久しぶりだったが、いつものように目の仕組みにだまされ、おお〜と楽しむ。モネ堪能。

早めに2日目以降の宿泊先であるベネッセハウス・パークへ。この日は休息日。ベネッセハウス全体が、美術と建築と自然を楽しみながら休息してほしいというコンセプトなので、部屋にはテレビもなくそのかわりBoseのCDプレーヤーがおかれている。紅茶、日本茶、コーヒー、ミネラルウォーターも好きに飲めるようになっていて、部屋でもゆっくりくつろぐことができる。各部屋ともテラスがあるし、朝も夜もテラスに椅子を置いてお茶と会話を楽しんだりできる。他の部屋では読書に耽っている人もいた。この日の部屋にかけられていた作品は、李禹煥のリトグラフ。

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9/12


朝食を終えると、フェリーで犬島へ。

犬島の詳細はまた別のページに割くとして、午前中は犬島製錬所を見学しお昼をとって、再び直島へ戻る。

午後から家プロジェクトをまわる。1時間半ぐらいで全て回れる。

地元の方々がボランティアでいらして、家を回るごとにちょっとしたことが聞けたりする。ちょうど千住博の作品が、作家の意向で制作し直しということで、母屋が閉鎖中なのだ、ということを係の初老の男性が話してくださった。「我々からすればせっかく作ったものをもったいない」などという感想を伺う。たわいもない裏話を地元の方と訪問者がかわす。そういう何気ないことがなにか土地の根っこを育てていく。

昨年ドクメンタに訪れた際にも随分と地元ボランティアが増えて、来訪者とコミュニケーションを持つことになれているなと思ったが、そういった本当にごく普通のたわいもない日常の行為の中に、芸術はあるべきだと思う。アートもごく普通の暮らしの中に根づく文化の一角なのだから。

家プロジェクトを見終えて、パークへ戻る。少し休んで残りの野外彫刻をみながらミュージアムへ向かう。ミュージアムでもまだ見ていない作品や、もう一度見たい作品を見直し、その後夕食。宿泊者は23:00ぐらいまでミュージアムの作品が見れたはず。それがミュージアムと住まい(宿泊施設)が一緒にあるすてきな贅沢。

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9/13
チェックアウト後、ミュージアムのカフェも試してみたくて、ブランチをとる。

バスに乗るために2Fのカフェから慌ただしく螺旋の廊下を下ろうとしたとき、家族が「あっ」という。コンクリートの隙間に、須田悦弘の雑草発見!!この旅で観た須田さんの作品には、ちょっと違和感を感じる部分もあったのだが、彼の雑草を見つけてほっとする。これでなくて。。。ああ〜、見つかってよかったと安心してみたりする。

港に向かい、フェリーで高松へ移動。荷物を駅に置いて、もちろん昼食は讃岐うどん。その後イサム・ノグチ庭園美術館へ向かう。

イサム・ノグチ庭園美術館を訪れるのは、オープンの際と今回で2度目。この美術館のある牟礼町は庵治石がとれることで有名な場所で、イサム・ノグチはアトリエと自宅を構え、こことニューヨークを行き来していた。移築された日本家屋(自宅)、同じく移築して倉を改造したアトリエなど、ノグチの趣向が随所に表れている。庭には完成作品、未完作品が所狭しと立ち並ぶ。ノグチは一つ一つ石をどの場所に置くか決めていたそうで、今でもその当時の通りそのままの状態でおかれている。自宅の横の石段をのぼると、枯山水を意識した庭園が広がる。右には石舞台、中央にはほっこり草の生えた丘がある。そして、丘の上には石が立てられており、高松の街が見渡せるようになっている。これがまさにその人の眠っている場所でもある。

見学を終えて、再び高松駅に戻り、空港へ。こりずに讃岐うどんを頬張る。そして東京に戻る。


投稿者 raumraum : 11:28 AM | コメント (0)