« October 2005 | メイン | May 2006 »
April 29, 2006
マイ・アーキテクト - ルイス・カーンを探して / my architect - a son's journey
やっと「マイ アーキテクト - ルイス・カーンを探して」(ナサニエル・カーン監督, アメリカ, 2003)を観てきました。20世紀を代表する建築家ルイス・カーン(louis kahn, 1901-74)の生涯を、息子のナサニエル・カーンが追ったドキュメンタリー映画です。映画の構成自体は、妻と愛人とその子供達の話が中心で、とても個人的な話でした。カーンの思想や民族的な背景等がもっと見れる映画だったら良かったのにとは思います。
ただ、にもかかわらず興味をそそられたのは、実際の建造物が、ある人物の生涯を描く「舞台」のようであったこと。建物とは、今ではそこを日常的に使っている人達のものであり、建築家その人とは、実は関係のないはず。その場所で、数奇(?)な運命を送った建築家その人の話が、一つのドラマのように語られていることに、逆につくられた舞台を見ているような、妙な印象を受けました。
カーンの手がけた建築は、なかなか見に行けない場所にあるので、それが一挙に見れたことは個人的には面白かったです。写真では、時間の移り変わりがわからない訳ですが、映画の中では、様々な時間帯で建物が映し出され、そこを行き交う人や反響音といったものが聞こえ、写真から受けていた印象と違うものがありました。
特に、遺作となったバングラディッシュ国会議事堂は、印象に残りました。写真で見る外観と、ユダヤという民族的生い立ちと、この計画の途上NYのペンシルヴェニア駅で亡くなったという事実から、長年何かしら重苦しいものを感じていたのですが、初めて内観をカメラを通して追っていくと、なかなか良い空間だと思いました。モスクに通ずるような反響音と、空間の抜け、そして建築家シャクスール・ワレスの言葉のように『この国会議事堂は、30年前の我々の国では考えられなかった建物ですよ。彼は指導者モーゼとなって、我々に民主主義を与えてくれた。民主主義を広げるための議事堂を与えてくれたんだ。』という歴史的背景 - 現在でも一つの国の大事を担っているという事実を考えあわせると、むしろ、晴れやかというか感慨深いものがありました。
また、1990年にイエール大学のアートギャラリーを訪れ、初めてルイス・カーンの建築に触れたときをも思い出しました。グリッドの吹き抜けに重厚感とすっと抜ける空間。その時を思い出すような感覚でした。
endlich habe ich den dokumentarfilm "my architect - a son's journey" vom welt-beruehmten architekt des 20 jahrhundert louis kahn (1901-74) gesehen. der film is von seinem sohn nathaniel kahn gedreht. es ging um die geschichte seiner familie "seiner frau, zwei geliebterinnen und ihre kindern". das war eine sehr persönliche geschichte. ich hätte eher erwartet, seine ideen, gedanken und die geschichte des völkischen hintergrunds zu erfahren.
trotzdem was mich interessiert, ist, dass seine "reale "gebäuden die rolle als "eine bühne" für das leben einer person gespielt haben. die gebäude gehören eigentlich zu leute, die heute im alltag benutzen. der architekt selber hat gar nichts damit zu tun. das war daher beeindruckend, dass die geschichte des abwechslungsreichen lebens jenes architekts an von ihn entworfenden gebäuden wie eine drama erzählt worden sind.
es machte mir auch spass, einen überblick seiner architekturen bekommen haben zu können, weil viele von seiner architekturen sehr entfern stehen. das war interessant, den wechsel des aussehens der bebäude je zeit mit dem echo, vorbeigehenden menschen, usw. zusammen erfahren zu können, was man in fotos nicht sieht.
投稿者 raumraum : 07:00 PM | コメント (0)
April 25, 2006
映像 / bilder / images
NHKで放送された『プレミアム10「立花隆が探る サイボーグの衝撃」』を見た次の日、『闇に残されたメッセージ/世界最古・洞窟壁画の謎』(港千尋・土取利行氏による案内, NHK, 2003)の録画ビデオを改めて見直しました。
洞窟の中では、人が生と死と向き合うための、芸術以前のより原初的な人類の表現としての祈りの場が、顔料を吹き付け(project)、音をこだまさせ、全身全霊でつくられていたらしいということです。それから時をへて、人は、心に思い浮かべる像、光学的な現象から見える像などを、うつし(映・写・移)だし、何らかの媒体(メディア)に定着させる方法をたえず模索してきました。それが、絵画であったり、カメラであったり、今日の映画だったり。
前述のサイボーグ技術やクローン技術も生命を写す技術ではあるのですが。
投稿者 raumraum : 03:27 AM | コメント (0)
April 24, 2006
NHK『プレミアム10「立花隆が探る サイボーグの衝撃」』/NHK Premium 10 - der bericht von Takashi TACHIBANA "schockierend vom cyborg" / report by Takashi TACHIBANA on "impact of the cyborg"
昨日(4月24日)のNHK『プレミアム10「立花隆が探る サイボーグの衝撃」』は、とにかくすごかった。例えば、両腕を失った人が、腕の付け根・胸あたりに脳から「本来腕の神経にあたる部分」を繋げ、義手をつけている。これは、今までの義手と違って、直接、腕の神経を繋げ、脳から電気(体が動くのって脳から電気が送られているわけですが)を送っているため、義手であってもかつて腕でものを触っていたのとほぼ同じ感覚がある。但し、胸に「腕」の神経があるため、胸を触られると、手首や肘を触られている感覚がある。
また、全身付随の人の脳にコンピュータを接続して、考えるだけで?(目で見るだけで)モニタ上のカーソルを動かせたり、少し離れたところのロボットの手を動かすことができたり。
極めつけは、マウス。マウスの脳にコンピュータを直結させて、リモート操作する。例えば、右に曲がる時には、右のひげのあたりの神経を刺激してやり、実際に右に曲がると「快楽」の神経を刺激してやる。生物の行動は、生き延びるとか快楽を得るということと強く結びついている訳ですが、行動の後に「快楽」を生じさせるという部分などかなりショック。
ビデオに撮り損ないましたが、再放送をしたら撮りたいです。
投稿者 raumraum : 02:33 AM | コメント (0)
April 20, 2006
ピエール・ブーレーズのコンサート / konzert von pierre boulez / concert of pierre boulez
芸大の奏楽堂に現代音楽の第一人者ピエール.ブーレーズ(Pierre Boulez)のコンサートをききにいきました。日本初演の楽曲もあり、なかなか刺激的でした。
お恥ずかしいながら、ブーレーズのことをよくしらなかったのですが、メシアンなどに師事した人で、ストラヴィンスキー、ラヴェル、ドビュッシー、バルトーク、シェーンベルクなどの楽曲の指揮者としても有名。
オーケストラの楽曲、ピアノ楽曲などでした。オーケストラは、ストラヴィンスキーのようなとても好きな音楽構造で、単純にものすごく楽しんでしまいました。
やっぱり、忙しさにかこつけてこもっていてはいかん。また、舞台やLIVEになるべく足を運ぼうと思いました。このブログももう半年近く頓挫しましたが、がんばらずまた書こうと思います。
das konzert vom zeitgenossischen komponist pierre boulez fand an der sogakudo-halle der tokyo national univerisity of fine arts and music statt. der erste programm fuer den orchester war die urauffuehrung in japan. die struktur der musik fuer orchester finde ich einige gemeisamkeit mit strawinsky, was mir sehr gefaellt.