プログラム
《ピソプラクタ》PITHOPRAKTA, 1955-56
《イオルコス》IOOLKOS, 1996, 日本初演
《メタスタシス》METASTASEIS, 1953-54
《シルモス》〜弦楽合奏のための SYRMOS for strings, 1959
《デンマーシャイン》DÄMMERSCHEIN, 1993-94, 日本初演
指揮:ダグラス・ボストック(Douglas Bostock)
*アイスランドの噴火のために、指揮者がジョルト・ナジ(Zsolt Nagy)から変更
オーケストラ:藝大フィルハーモニア
やっぱり、生で聞いて初めて感じること色々あります。おもしろかったのですが、建築との関係で聞いてやろうという、こちらの勝手な刷り込みがあるものだから、実際にどのぐらいのスケールの空間を想定した曲なのかとか、どこに座ったら良かったのかしらとか、そんなことが気になっていました。小さい編成の演目などは、意外とボリュームが小さいものだから、最初不思議でしたね。
1曲ごとに、だんだん耳が慣れてくると、ウア〜ンとずれていく、うねりの曲線を感じられるようになってくるのが不思議。
演奏後、お食事をご一緒したT氏がクセナキスは「結局音楽は時間とは関係なくアルゴリズムである」と言及していたという話をされていたけれども、ある規律、手順、構造をもったアルゴリズムからなる、ちょうど均衡のとれた状態の形状が、うねり、少しずつ広がり、さまざまな波状のボリュームとして変化していくように感じられ、本当に視覚的にもみえてくるような気がしました。
Klangfarbeという言葉はあるけれど、我々にもそんなものが感じられるのだから、音の専門家には、あるパラメータの変化が、もっと色のディテールまで感じられる具体的な形状の変化として、刻々と頭の中に広がっているのかしら。。。などと考えてしまいました。
残念ながらプレトークが聞けなかったのですが、演奏用の通常の楽譜とは別に、グラフのような作曲のダイアグラムもあったそうで、そこらへんのことは調べてみたいものです。
ひさしぶりに、楽しかったですね。。。
追記:
結局コンステレーションではなくて、コンピュータグラフィックスでなにか曲線を描いて回転させたときの曲面立体みたいな感じ。座標と座標のコンポジションから構成するのではなく、座標間のあらゆる値が埋まっている。本当に微細な数値の違いが、連続性による面を生成している。
演奏している人達は、どうなのか?通常音楽の場合、タクト(座標)とタクトの関係、その楽器の余韻(響き)の残し方といったことが大切なんだろうけれど、全ての値が埋まっているような規律の中で、どこで音のきっかけをつかんでいるのか?演奏する側に演奏法の違いがあるのかということにも興味を持った。同じ会場にいた建築と音楽をやっている卒業生がよく観察していて、コンマスだけがリズムを足で取っていたと言っていたけれども、拡張・縮小をつづける連続曲面の規律とはどういうものであろう。音の高低差とか色々あるんだろうけれど、どのように基準を見つけていくにしても、今までとかなり異なる規律(アルゴリズム)で「作曲」された音楽と、それを「演奏」する際に起きる演奏法の解釈といったことを、今度音楽の専門家に聞いてみたい。
]]>2010年春の開館に向けたプレ展示。1894年ジョサイア・コンドルによって設計された三菱一号館は、1968年一部の部材を残し解体されたが、2003年より丸の内の再開発に向け、当時の図面や資料をもとに、当時の建物を復元設計計画が持ち上がり、2009年春竣工された。
本展では、江戸末期から現在に至る丸の内一帯の都市計画の変貌と、復元計画にあたり、参照された図面(コピー)、資料、写真、当時の建物部材の一部が公開されている。
余談だが、コンドルは河鍋暁斎に絵を習っていたんですね。おもしろい人に、師事するなと思いましたが、上手だったようです。
それとやっぱり、建築図面のアーカイヴとか重要ですね。。。(実感)
開館30周年記念で、太田記念美術館が収蔵する浮世絵の中から、150点余りを厳選し、浮世絵初期〜近代までの変遷を紹介している。前後期日程で、巻き返し(頁替え)以外は、全て入れ替わるので、両日程見た方がいいかもしれない。
着物の描写において大胆な紋様構成から陰影を入れるようになるまでの変化、江戸末期頃のものに見られる近代日本画との繋がりを感じさせる背景・風景描写の変化など、細かく見ると発見がいっぱいです。前後の時代の画風を知っているとより楽しめるかもしれません。
版本がおもしろかった。喜多川歌麿の『潮干のつと』とか、文字の入り方と画面描写のきめの細かさがかっこいいし、うまい。窪俊満『百さへつり』や葛飾北斎の『春のみやひ』に描かれた波はエンボスになってました。
それにしても歌麿は、他の浮世絵をみても、卓越した技術に基づく細かい部分の描写力はピカイチ。ちょっと別格。また、北斎87歳のときの『羅漢図』は、もういっちゃってます。北斎は各時期において、常にイノベーターですけど、晩年の画風は、囚われるものもないような超越した奔放さ、力強さがあってすごいですね。
軸の表装も見事なものがあるので、ぜひご覧あれ。
]]>また、それらの展覧会企画に通底していることは、扱っている事柄や時代は違っても、「時代」を映す、「時代」への眼差しといったことであったかと思う。
レビューとして、印象に残った3つの展覧会を開催順にいくつかあげておく。
「ヴィデオを待ちながら映像、60年代から今日へ - Waiting for Video: Works From the 1960s To Today」
@東京国立近代美術館, 2009年3月31日-6月7日
まず、いわゆるヴィデオ映像作家として知られる人々の作品はあまり見られないし、ヴィデオアートの歴史を追う展覧会でもない。1960年代半ば以降、絵画や彫刻といった従来の造形芸術に携わってきた作家達が、美術の枠組みを見直し、個別に分かれた領域を横断していこうとした時代性の中で、その探求方法の一つとして、当時出始めたヴィデオカメラを手にとり、自分の身体を使って実験を繰り返してみる。その結果として生まれた映像作品が大半である。
フィードバック機能をもちいて記録と再生のディレイを反復する、カメラに向かって単純な同じ身体の動きを反復する。カメラを通して映/写される自分の身体と、それを即時にモニター越しに見つめる自分。そのような構図の作品の数々が印象に残ったように思う。「うつす」という行為は視覚造形の宿命であり、造形家たちはテクノロジーによってもたらされた各時代の「眼」を駆使して、忠実にうつさんとする。それをここでは、作家達はヴィデオを通して、自分の身体を映/写してみるのだが、その行為が肯定とも否定ともしがたい対峙となって表れている。鏡のように自分を写し、同時に記録(=メディアに定着)する。しかし、それは自分そのものではないと証明しようとするかのように反復し、はたして映ってしまっているのは、一体何であるのかを内観しようとする。
残される作品以上に、表現行為そのものの意味を見つめようとしているのであり、その姿勢に眼差しをやり、次の時代(今)に通ずる普遍/不変的問題を模索する表現活動を眺めようとした展覧会であったように思う。それ故に、作品から何かを得ようする人にとっては、脈絡も見えず反復する映像の断片の集合を前に、途方に暮れるものだったかもしれない。
表現者が時代のテクノロジーを扱ってみようとするのは、提供された技術の自明性を疑い、未だ可視化されぬ感触を手がかりに、そこに潜在する未来への何らかの可能性を暴き探ろうとするからである。
いきなりくだけてしまうが、「体張ってるな、律儀だな」アーティスト。。。と、今さらながら感心してみたりした。自ら体験し体現せよ、という自戒をもちつつ。
なんか、固いレビューにするつもりはなかったんだが、カチカチだな。でも、顔をしかめて「凝視」しながら会場を歩いたという記憶があるのです。
「ヴィデオ」はもともと、ラテン語の「videre(見る)」の一人称単数形「video(我見る)」に由来している。であるならば、単に媒体や機材の固有名であるという事実をこえて、ヴィデオとは「見る」、すなわち美術における根源的な問いを含み持つ語であると言えないだろうか。したがって、この原理的な意味に引きつけて展覧会のタイトルに冠せられた「ヴィデオ」とは、展覧会に出品される全ての映像に共通する問題意識を指しうるものとの期待を込めてつけられたものでもある。 三輪健仁著,『ヴィデオを待ちながら映像、60年代から今日へ』展図録, 東京国立近代美術館, 2009, p13
「画家の眼差し、レンズの眼 - 近代日本の写真と絵画」
@神奈川県立近代美術館葉山館, 6月27日-8月23日
日本の近代美術の洋画家達は、なんて絵が下手なんだろう。。。と、長らく思ってきた。(ごめんなさい。愛着のある作品も沢山あります。)いやしかし、この展覧会を観て、びっくり仰天。眼から鱗の連続だったように思う。近代油画をみると、人間のプロポーションが歪だなと思うことが多々ある。しかし、絵のもととなった写真に写された人々と比べて見ると、なんとそのものなのである。洋画家達は、写真という新しい「眼」に映し出された像を、そのまま正直に写し取っているのである。現代の我々の眼から見ると、絵に写された身体の方が、まだ自然に見えたりもする。
19-20世紀にかけて、日本には西洋の写真技術と洋画が伝わり、美術に大きな変革がもたらされた。この展覧会では、その絵画の変貌と、それに欠かせないはずであったレンズ越しの眼差しを対比している。また、絵画が新しい「眼」を取得し、そこに独自の何かを加味しキャンバスに投影しようとしたり、ピクトリアリズム(絵画主義)の写真のように、写真もまた絵画に写し取られた視点を模倣し、芸術としての可能性を模索しようとしたり、といった絵画と写真が寄り添い、互いに影響を与えつつ、それぞれの表現の独自性を探求してきた変遷も追っている。
まず、幕末・明治期に活躍した写真家横山松三郎の手控え(覚書)は、本来全ページ捲りたいところだ。光のスペクトル図を描いたものや、左目を見開いた顔のスケッチ、写真鏡の仕組み、カメラの設計図など、横山の研究熱心な様子が伺える。
高橋由一や浅井忠といった洋画家達は、写真の性質を慎重に吟味し利用しながら、スケッチや油画作品の制作に取り組んでいる。写真からモチーフをトリミングし描かれた油画、逆に写真には写っていないモチーフを付け加えることによって描かれた油画。それらを対比できるのは、表現プロセスのコラージュを体験するようで、おもしろかった。
印象派の画風が確立されたのは、あのように見えていたからだという話があるが、レンズ越しのフレーミング、採光、フォーカスの按排と絵画の関係も興味深い。三宅克己はうまい。自分でも写真を好んで撮影していて、水彩画に結実していく独特の光と影の陰影やぼかし、とにかくうまい、器用。岸田劉生や特に中川一政らの静物画は、写真と対比されると、なんかセザンヌのそれを見ているような感じもしてくる。
時代の技術がもたらす「眼」と表現の関係を対比させていく試みは、観る側にとっても、発見の連続となる展覧会だった。ここにあげた3つの展覧会の中では、「おっー」と、単純に楽しみながら見れたものだったように思う。
「‘文化’資源としての炭鉱」
@目黒区美術館, 2009年11月4日-12月27日
この展覧会は以下の3つのパートから成る。Part3は、場所も別会場(ポレポレ東中野)であり、上映期間もすでに終わっていて、残念ながら見れていない。
Part.1-<ヤマ>の美術・写真・グラフィック
Part.2-川俣正コールマイン・プロジェクト〜筑豊、空知、ルールでの展開
Part.3-映像の中の炭鉱
Part.1-<ヤマ>の美術・写真・グラフィックは、4章から構成されている。
展覧会の導入がうまく、良かったように思う。第1章は実際に炭坑で働いた人達による絵の記録が連なる。会場を入るとまず、井上為次郎の水彩画『明治時代の炭坑風俗』、千田梅二の木版などが並ぶ。脳裏にあった硬質で厳しい炭坑への先入観とは裏腹に、そこに暮らすそれぞれの家族の営みの息づかい、人肌といったものに、はっとした。当たり前のことであるのだが、炭坑の暮らしを一括りにできるわけもなく、生活のディテールには体温がある。
次の部屋に入ると、山本作兵衛という元炭鉱夫による炭鉱記録画が総覧できる。山本は、炭鉱を退いた1957年以降、次世代に炭鉱の記憶を伝えるべく、墨や水彩でおびただしい坑内の情景を描き、文章を添えている。同じモチーフと文面が何度も描かれ、物語性をもった1つのフォーマットをなしており、描写力や手法は違うものの、日本の絵巻物や浮世絵などにおける風俗、生活情景の記述法を思い浮かべた。
現在、戦後社会の高度経済成長を支えた産業の一つが炭坑でした。全国の炭鉱で、大勢の人々が働き、それぞれの炭鉱社会を築き上げました。それらの有り様は一様ではなかったはずですが、急速に発達するマス・メディアに夜報道や商会の多くは過酷な労働、落盤など危険な仕事、労使の対立といったイメージに一般化してしまったといえるでしょう。ー略ー さらに、その美術が各産炭地の生活レベルに浸透し得て各産炭地の生活や文化の差異・類似を明らかにするならば、ローカリズムとされてきた炭鉱問題を、近代、世界の問題として思考する道筋を提示することに成るかもしれません。 『‘文化’資源としての炭鉱』図録序文, 目黒区美術館, 2009
第2章は、野見山暁治をはじめとする美術家達が描き残してきた炭坑の情景。第3章は、炭鉱と写真とつづく。個人的に第1章の後、間違えて第3章に入ってしまったため、差異にはからずもショックを受けてしまった。土門拳の『筑豊のこどもたち』の写真は何度か見たことがあったが、以前の印象と異なり、外部からの鋭い眼差しが切りとった情景に、写ったものと写らなかったものの存在を強く意識してしまったからだ。土門の功績はいうまでもないが、それを超えてより内部と同じ距離の中で炭鉱を写し取ろうとした庄田明の写真や、炭鉱記録文学者上野英信らの活動など、「炭鉱への距離感」を違えて、多様に撮影されてきた写真が並列されていた。第2章も含め、第1章から第3章、そして第4章のグラフィックへとたどると、「炭鉱」を取り巻く表現の断片が、こんなにも無数にあったかと驚かされる。当事者の目線から外部からの客観的観察へ、どの眼差しが忠実かということではなく、その振り幅の大きさがこの展覧会の魅力、充実だったように思う。
隣の建物に移ると、Part.2-川俣正コールマイン・プロジェクト〜筑豊、空知、ルールでの展開がある。『景』と題されたインスタレーションそのものは、川俣の手法として、そのまま眺めてしまったが、10年以上継続されてきたこのプロジェクトが、2010年ドイツのエッセン市で新たな試みを含め展開されるということを言及しておきたい。
エッセン市はルール工業地帯の中心的小都市の1つで、来年は欧州文化首都の年を迎える。街中には、20世紀の前衛芸術を支えたパトロン、コレクターでもあったオストハウスに由来するMuseum Folkwangがあったり、ダンスパフォーマンスの歴史を語る上で欠かせないFolkwang Tanzstudioなどがある。また、メディア批評、デザイン学の第一人者ノーベルト・ボルツが1992-2002年まで教鞭をとったり、写真家アンドレアス・グルスキーを輩出したりしたエッセン総合大学(2003年の統合により現デュイスブルグ-エッセン大学)もここにある。エッセン総合大学自体は、割と新しく70年代に設立されたのが、ルール地帯の炭鉱業からサービス業への構造転換を意識し創立された大学でもあった。北部には世界遺産にも登録された炭鉱跡地Zollvereinがある。ちなみに、この場所には当時の建物を再利用したギャラリーやデザインミュージアムがあり、また、敷地の一角には、マネージメントとデザインを同時に学べるMBA大学院大学zollverein school of management and design (建物はSANNA設計)が建つ。
このように、炭鉱から文化を支えるインダストリーへという歴史的な基点を持つ都市なだけに、2010年のエッセン文化首都年は、数年前から力を入れているようだったし、どういうことが行われていくか注目していた。そんなこんなを考えると、ローカルに潜む普遍の問題を追い続ける作家には、時代や周りの思惑が見事に合致し、自然とついてくるのだななどと思ってしまう。「ローカリズムとされてきた炭鉱問題を、近代、世界の問題として思考する道筋を提示すること」は、この展覧会の挑戦でもある。
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その他の企画展として気になったのは、「ロシアの夢 1917-1937」@埼玉県立近代美術館。2008年度の「青春のロシア・アヴァンギャルド」@同館を見逃していることが悔やまれる。
コレクション展としては「国立西洋美術館開館50周年記念事業 かたちは、うつる—国立西洋美術館所蔵版画展」@国立西洋美術館。これは、同時期に前述の「画家の眼差し、レンズの眼 - 近代日本の写真と絵画」や「光 松本陽子/野口里佳」@国立新美術館が開催されていて、切り口は違えど、「うつす」という視点から視覚芸術を捉え直す意味で興味深かった。さらに、常設というか「国立西洋美術館開館50周年記念事業 ル・コルビュジエと国立西洋美術館」@国立西洋美術館は、単純にお宅拝見ならぬ、美術館の建物拝見といった感じで、楽しめた。
作品そのものの印象が強く残った展覧会も、いくつかあった。
「光 松本陽子/野口里佳」@国立新美術館
「河口龍夫展 言葉・時間・生命」@東京国立近代美術館
この2本は、思うことが沢山あって、今書ききれません。
デザインに関する展覧会もいくつか見た。デザインの展覧会が沢山開催されるようになったのは嬉しいことだが、1人のデザイナーに焦点を当てた企画は増えたものの、デザインのある視点から時代を読み解くといった試みは、あまりないように思う。文化としてのデザインの検証は、残念ながら、我が国では大変遅れている。真摯にそれらの活動をしようと思っておられる方々もいらっしゃるので、これからに期待したい。
余談ですが、2009年自分がお手伝いした美術館での仕事は、『絵ニ入ル』@山口県立美術館。秋の雪舟作品公開に合わせて上映した拡大映像の上映。
年末に学芸の方に終わってみての状況を伺ったところ、美術愛好家や専門家、こどもたちはおもしろがってくれるが、広く一般を振り向かせるのは、なかなか難しぃ。。。かったみたいですね、やっぱり。。。まあ、ふらっと立ち寄ったオルセーの学芸員が、おもしろがってくれたみたいで、それは少し良かったかなと。また、別の文脈での話ではあったのですが、「美術館がやろうとしていることと、美術館に求められていることが一致しない」という話は、なかなか頭の痛い、難しい問題です。
2009年、意外と展覧会にはずれのない年でした。それだけピンポイントでしか回っていないだけで、近年数見れていないということもありますが。2010年、すでに昨年から開催しており、期待している展覧会が目白押し。今から楽しみです。
まず、足を伸ばしたのが長府の城下町。
長府は、「長門国府」の略。土地の記録が歴史上表れるのは、『古事記』『日本書紀』と古く、仲哀天皇(古事記に出てくるが実在不明)の仮皇居として豊浦宮(現長府忌宮神社)が建てられたと記述されているそうです。中世には、大内氏の下で、そして、大内氏が滅亡した後には初代藩主を毛利秀元(元就の四男穂田元清の子)とした長府藩の城下町として栄えました。維新に際しては、高杉晋作が功山寺で挙兵したことでも知られます。
美術史ゆかりの人としては、狩野芳崖が長府藩のお抱え絵師で、覚苑寺には銅像も建っているようです。
山口県には3つの国宝建築があるそうですが、そのうち2つが長府にあります。
功山寺
まず訪れたのは、功山寺。
山門を上っていく。とても手入れの行き届いて、木立の間から木漏れる冬の日差しが美しかったです。
国宝功山寺仏殿。鎌倉時代末期にあたる1327年の創建で、二重屋根入母屋造りの桧皮ぶきが特徴の、典型的な唐様禅宗式建築で、同種の建築物としては、日本最古のものと言われています。同じ様式としては、鎌倉円覚寺の舎利殿が同じ様式だそうです。桧皮ぶきは、30年に1度葺きかえられているようです。
法殿入り口の杉戸絵は、狩野芳崖の父、狩野晴皐によるものです。普段から使用されている場所なので、前にものがおいてあって、よく絵が見えませんでしたが。。。しかも、由来に気がついたのが、お寺を出た後でした。
法殿から書院「五卿潜居(ごきょうせんきょ)の間」へと渡ると、お庭が見えます。小さいですけれど、美しいことで知られている有名なお庭だそうです。いやしかし、日本の庭園というのは、本当に小宇宙のあつまりですね。奥床しく趣のある素敵なお庭でした。
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住吉神社
長府にあるもう一つの国宝建築が、この神社の本殿。住吉神社は、全国にありますが、この神社のご由緒も古く、仲哀天皇の妻、神功皇后が住吉大神の荒魂を祀るために祠を建てたのが始まりと言われているそうです。
ちなみに、古代においては、神霊は荒魂(あらみたま)と和魂(にぎみたま)という霊魂から成ると信じられ、荒魂は人間生活の促進のために活動する魂、和魂は平和をもたらす魂と考えられていたそうです。
楼門に向かう階段の両側に、狛犬さんがいます。良い笑顔ですね。
手前の建物が、1539年毛利元就によって寄進された重要文化財の拝殿で、奥の建物が、1370年大内弘世によって再建された国宝の本殿です。
本殿は、九間社流れ造りといい、五社殿を合の間でつないだ九間でつくられています。檜皮葺に千歳破風をのせた春日造りと流れ造りを組み合わせた建物です。
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唐戸へ
関門橋が見えます。橋の向こうは、九州です。
唐戸とその周辺には維新以降に建てられた魅力的な洋館が並びます。その中から、旧秋田商会(現下関観光情報センター)の外観と、その隣にある郵便局を見ました。すぐそばには、1901年に建てられた重要文化財の旧英国領事館もありますが、残念ながら、改修工事のため外観もすっぽり包まれて見れませんでした。
歩道橋から見て、右側に旧秋田商会の建物が、小道を挟んで、下関南部町(なべちょう)郵便局が建っています。
旧秋田商会
1915年に建てられた事務所兼住居の建物です。2、3階が和室の住居だったそうで、屋上には日本庭園と日本家屋がのっかっているおもしろい造りになっています。普段は、内部を公開していますが、年末なので閉まっていました。
下関南部町(なべちょう)郵便局
1900年に建てられた下関に現存する一番古い西洋建築です。現役の郵便局としては、日本最古です。郵便局の角には、当時の漆喰の天井や装飾物が展示してあります。
外壁のレンガは厚さ60センチだそうで、併設されているカフェには、当時の内壁が見れます。中庭もそのままにしてあって、夏にはゆったりとお茶を楽しむことができそうです。
郵便局で切手を買い、バスを待つ時間、オリジナルカレーをいただきました。
]]>田舎町の整備された海岸きららビーチ焼野に建っている隈研吾設計のスペイン料理レストラン&カフェ。ちょうどお昼時で、随分人がいらしていました。ランチをいただきました。
道路側の外壁はこんな感じ。
向こう側に海が見えます。瀬戸内海です。小さい内海に大きな船がいっぱい行き来するのが、独特の光景ですね。ちょっと、写真では、見えずらいですが。
海から見て左側がレストラン、右側がカフェ。
レストランの中からの眺めも抜群です。お料理も、とてもおいしかったです。
パイクやボイスのパフォーマンスのサウンドファイル、カンニングハムの映像等、多ジャンルにわたるリソースが公開されています。
時間をかけて今度ゆっくり色々チェックしよう。
]]>平易なものを求めたくない。しかし、高度にコンプレックスなものを見せる試みは容易くはない。
]]>正直、うう〜ん。一瞬、20代の頃と違って、抽象的なパフォーマンスに対する自分の対応力が低下したのかとも思ってしまった。。。どちらかというと、抽象的なパーフォーマンスを好み、ついて行ける方なのですが。
実は、何年か前に来日した際の公演、スティーヴ・ライヒの曲を使った"Rain"(初演は2001)には、今回以上に「うう〜ん」だったのでした。"Fase"(これも曲は、スティーヴ・ライヒ, 1982)の完成度の印象が強いのでしょう。"Rain"では、ライヒの細部にわたる緻密なコンポジションとは対照的に、「雑に見えてしまった」のです。しかし、"Fase"から20年以上経っていて、違うことをやっていて然り、それと単純に比較してもしょうがない。実際の比較対象となるナマの公演を他に知らず、はかりかねたというのが正直なところです。
今回まだ見えていたのは、なにか明解な意図があっての実験の遂行。(もちろん、ケースマイケルだけに、前回もかなりがっちり意図があったんだろうけど)
コントロールと即興の不協和音の中から、何かを交差させていく試み。それは、わかる。しかし、「雑」という表現は的確ではないにしても、とにかく、ようわからない。
難しいのは、即興が入ってくると振付け師の範疇をはみ出すダンサーの力がものをいうわけで、つまり、当たり前なのだが、彼らのインプロヴィゼーションにおける隅々にわたるイメージの詰めの影響は大きいということ。ケースマイケルのような、音楽とダンスの中に生まれる空間のボリュームや時系列のオーガニゼーションを大変厳格に行うことを起点としてきた振付け師において、特に今回のような実験においては、インプロヴィゼーションだからなのか、ダンサーの力量なのか、果たして、また別の理由なのか、具体的に何が成功していて、何が否なのか。「観る側」としては、よくわからない。
けれども、インプロヴィゼーションにおいて、各瞬間がはっきり分かれていることは重要です。- 略 - 振付家デボラ・ヘイと仕事ができたのは、興味深いことでした。私の大きな関心は、常にエネルギーや時間、空間の戦略的な組織化にあったのですが、彼女が特に関心を持っていたのは、ムーヴメントを知覚することです。きわめて重要なのは、具体的な目的に従った決断を下すことでも、そこに可能であった複数の選択肢でもありません。重要であるのは、参照点としての自我、舞台上で中心の位置を占める「私」です。- 略 - ハーモニーの放棄もまた、『ツァイトゥング』の構想においてこの上なく重要な役割を果たしました。実際、音楽と振り付けは、それぞれ無関係に別々に生まれ、その後少しずつ調和するようになりました。音楽と振り付けの組み合わせが、時として、ハーモニーを揺さぶるのです。(Anne Teresa De Keersmaeker, 氷河の上で踊る, 公演パンフレットより)
彼女の言及は、とてもわかる気がするし、彼女の試みがとても明解であったこともよくわかる。でも、あそこで実際に出現したイメージが、果たして、彼女の思い描く、予期せぬ予感としっかり合致していたのか?イメージ通りだったのか否かを計りにくいということが問題なのか、観る側のリテラシーの問題なのか。
でも今回の試みは、むしろ氷河の上を歩くのに似ています。クレヴァスがどこにあるのかは、わかりません。
これも、よくわかる。しかし、「クレヴァス」が、どこなのか、見えてこなかった。果たして、見る側が、予測できないその瞬間(クレヴァス)の訪れ、つまり、"各瞬間がはっきり分かれていること"を察知できなくてもよかったのか。
エキサイティングだけれど、危険でもあります。落ちるとしたら、高いところから落下するのですから。けれども、高いところにいることは、なによりも素晴らしいのです。(前掲)
なんか、自分で全て言ってる気がするけど。
それと、今回テクニカルもうまくいっていたのか?複雑なことを、クリアでシンプルに見せようとするから、何か微妙にずれると簡単なことを雑にやっているように見えてしまう。とにかくわからない。客席にいたケースマイケル自身、始まる直前に客席後ろのテクニカルのところに行ったり、始終多少落ちつかないように。。。これは勝手なこちらの思い込みですが。。。
うう〜ん。また観にいこう。強調しておきますが、Rosasが悪いという話ではなく、比較し続けないとわからないや。とにかく、今回わからなかったという話。
]]>まだ、登録者が少ないから、いちいち展覧会場情報入力しなきゃならんが、みんなが使えば、便利になる。
私なんか、忘れちゃうから、たまにパフォーマンス情報も入れてしまう。
]]>ドイツの友人たちも検索してみたが、意外と、ハイテクなことについていける人ほど、やってなかったり。。。
めんどーくさがりの私なので、すぐあきちゃいそうなので、やってる人、おしえてくださいね。
@raumraum
]]>先週設営に行ってきた『絵ニ入ル』が、本日から始まりました。
数年来、美術館の協力を得ながら、取り組んでいる拡大高精細映像による文化財の映像演出です。
美術館で扱われる映像は、未だに、TVや映画などのように、椅子に座って、見ることだけに集中する鑑賞方法を基準につくられています。しかし、この共同研究では、美術館のように歩いて見回る場所を考慮し、視覚、身体、主観的な体感速度を丹念に検証することを重視しながら、実物鑑賞の貴重さとは別に、文化財の魅力を伝える展示を考えています。
今回制作した映像は雪舟の名作2点。
雪舟等楊 筆 ≪四季山水図巻≫ 毛利博物館所蔵 国宝
雪舟等楊 筆 ≪倣高克恭山水図巻≫ 山口県立美術館所蔵 重要文化財
ちょうど、実物作品が、それぞれ毛利博物館(〜11/30まで公開)と山口県立美術館(〜11/29まで公開)で公開されているのに合わせて、実施しています。
気長にやっているプロジェクトなので、贅沢にも現地での投影テストを何度もやりました。その上で制作し直し、学芸の方と空間のイメージを丁寧に具体化していったので、シンプルだけど丹念な空間になりました。それにしても、学芸の方が、自館の「展示空間を知っている」ということは大切です。最終的な空間のつくりを、今回ほぼ全てお任せしましたけれど、展示室の性質も浮かび上がる、ピシャリと嵌る気持ちのよさに感動。。。。。
お近くにいらっしゃる機会があれば、ぜひ。映像は12/20までやっていますが、実物と両方見たい方は、11月中に、どうぞお越し下さい!
雪舟等楊 筆 ≪倣高克恭山水図巻≫の場面
広告学院ということもあるのでしょうが、日本以上に、それも遥かに市場経済主義で、目先のスキルが重視されているようです。良い作品をつくることとか、賞を取って社会的評価を受けることといったこと以上に、就職できるかが、まず何より重要なのだそうです。
日本でも、現在の就職難は、専門をこだわってられない、職にありつければいいというところがありますが、中国の貧富や生活階層の違いは、日本の現在の経済的危機のそれとは、比べられないもので、その専門で職を得るかどうか、まずなによりも、お金になるかどうかという問題は大きいのでしょう。
それと、一般におけるデザインへの理解はなく、ロゴをつくったぐらいでは「なにもしていないじゃないか」ということで、クライアントがお金を出してくれないそうです。そのため、ある程度派手なことをしないと、という傾向にあるようです。
こちらに着いて、先生方との打ち合わせの感触から、初日の授業の内容は、大幅に組み替えてみましたが、今日の感触をみていると、それでも学生にとって抽象的だったかもしれません。なかなか抽象度の高い話は、通用しなさそうです。
もっとも、日本の学生も、大学に入ってくるときには、「絵を描くのがすきだからデザイン学科にきました。CDジャケット、ポスター、パッケージをつくりたい!」というレベルだから、そんなにちがわない部分もあるのかもしれません。
明日は3年生の授業ですが、冒険として、もう一度概念的な話をしてみるか、思案中。
急遽大幅に内容を変えたことで、うちの学生にも作品のデータを送ってもらったりしました。協力してくれた人達、謝謝。
]]>本日は、建築ラッシュの国貿周辺へ。テレビ局や貿易センターが乱立する地区。レム・コールハースや山本理顕の建築が並ぶ。
山本理顕の「建外SOHO」。集合住宅群だが、かなりオフィスとして使用されている模様。
Skidmore, Owings & Merrill (SOM) 社による建築。中国ワールドトレードセンター。74階の高層ビル。
コールハースのCCTV局。奥に見える黒いシルエットが焼けてしまったTVCC局。巨大なビルの丸焦げは、かなり痛々しい。
国貿駅の周りは、首都高が張り巡らされ上も下ももの凄い交通量。今でも交通規制はしているそうだが、今日は風がひどいことも加わって、もの凄い砂埃。さらに南下し、川を渡ると「22院芸術区」が見えてくる。
「22院芸術区」は、コンテンポラリーアートを扱う「今日美術館」の他、ギャラリー、デザイン事務所、デザイン&アートショップなどのテナントが入る商業アート地区になる予定らしい。美術館は、オープンしているが、まだギャラリーも5、6カ所しかオープンしておらず、テナントを募集している。
手前の茶色の建物が今日美術館で、黒い建物がギャラリーやショップの入るビル群。美術館の前には、岳敏君[Yue Min Jin]の彫刻が立っている。は、1962年竜江省大慶市生まれ。ユーモラスな、笑う群像の絵やオブジェを制作している。売れっ子なので、あちこちで作品を見かける。
さて、1号館を入ると、正面の展示室は、何やら解体中。隋建国 [Sui JianGuo]の展覧会が前日に終わったところ!!しまった!昨日こっちの見学を先にすべきでした。しかし、美術館がオープンしていても、解体作業は丸見えなので、大きなオブジェの断片が見えた。隋建国も中国現代アートの牽引する大変著名のアーティスト。また、中国の最高峰といわれる、北京の中国美術学院で教鞭をとっている。
3階では、スイス建築の展覧会をやっていた。来年行われる上海万国博覧会のスイスパビリオンの設計等が出ていたが、なんとも、展示がひどくて、これは、がっかりしてしまった。
今日美術館No1.裏にNo.2とNo.3がある。
2号館。建物の左上には、隋建国の恐竜オブジェ。
さて、コレクションの陳列と表示が出ているのだが、入り口を入ると工事現場。「展示が見れないのか?」と聞くと、奥へ案内してくださる。キャプションもないコレクションが、一応展示してある。聞かないと展示があるなんてわからない!
3号館。「巴黎——北京—走向纯粹」という展覧会が開催中。油絵の展覧会で、パリの風景を描いたもの。
。。。という訳で、今日美術館の展覧会自体は、ちょっと期待はずれ。ただ、この場所に来てみて、現代中国の芸術領域の現状を、すくなくとも、北京の様子を、少し肌で感じることができた。明日訪れる798芸術区も観光地化していると、事前に東京画廊さんより伺っているが、新しい高層ビルの建ち並ぶ国貿周辺に、商業的文化地区をつくってしまう。。。というのは、なによりも経済効果を優先している、現在の中国の在り方を象徴している。
正直、キッチュなイメージばかりが先行する中国アートにさほど興味を持てないでいた。しかし、国家や経済の波は余りにも大きく、様々なイデオロギーの制約から脱却することの難しさ、そのために、それらをちゃかすことで、相殺せざるえないのだろうと、途方に暮れるような感覚をもった。
2号館横のミュージアムショップ。
内装工事中のギャラリーやショップ。
国貿の高層ビルがみえる。周りはどこもかしこも工事中。
忘れないうちに、アップできるものから備忘録。
北京国際飯店(建国門)
ホテルの前の建国門内大街。目抜き通りなので、広い!
建国60周年なので、至る所に。。。右は地下鉄の東単駅
この歩道橋がとても揺れる。大丈夫か。。。
ここら辺は、高級ブティックやショッピングモールが続く。
王府井大街。北京の銀座という訳でもないが、外国のブランド・ブティックやデパートが建ち並ぶショッピングストリート。
王府井小吃街。大街(大通り)を脇道に入ったところ。庶民的観光ストリート。安い土産物屋や色々な肉の串焼きの屋台が建ち並ぶ。サソリや虫、ヒトデなどの串焼きがあるとは聞いていたが、ここのことでしたね。
庶民的とは書いたものの、高級繁華街王府井大街のすぐ横で、作られた庶民的脇道という感じがする。前からあるんだろうけど、あまりにも、アジアや中東にありそうな感じ。
この後、王府井大街に戻り、東安門大街まで北上。昼食休憩。
王府井大街をさらにテクテク北上し、五四大街を左折。やけに派手で大きな(中華料理店のような)建物。。。。が、中国美術館
中国美術館の正面。
「国家重大歴史題材美術創作工程作品展」って。。。
歴代の主○の肖像画、戦時下の侵略解放、戦後外圧への抵抗等、全て今回のために制作された現代の壮大な歴史絵巻といった感じ。
それにしても、みんなとてもうまいので、顔を見るだけで、誰だかわかる。
創作展までの工程も年表みたいなものが貼られている。
なんか興味深かった(といってしまっていいのか??)のは、最上階にそれぞれの絵画ができあがる工程(スケッチ、プロトタイプの彩色画、手記等)が展示されている。なんかに似ている。。。と思ったのだが、アニメの制作工程の展覧会みたい。この展覧会自体が、歴史ストーリー制作への綿密な絵コンテ。。。みたいなものでしょうかね。
以後、現代アートと比較する上で、色々と考えさせられた。
さらに西へテクテク、ひたすら歩く。故宮の真後ろ、神武門前に辿り着く。
神武門
その向かい側には景山公園への入口を入る。ここの頂上から、故宮を見下ろす風景は圧巻とガイドブックにある。。。ので、上を見上げて。。。直線距離の急な階段コースと迂回の楽々コースを悩み、、、もうひと頑張り、直線コースへ。
これは確かにすごいですね。
しかし、、、向こうに見えるスクリーン2つ。天安門だろうが、うう〜ん。
北の向こうの方に鼓楼(左図)、東に国貿のCBD(右図)が見える。かすかに、CCTVや貿易センターのシルエットがみえる。
下を歩いているときには予想していたより、スモッグはひどくない。。とは思ったが、上に登ってみると、やっぱりなんかすごい。こんなに見晴らしのいい場所なのに、すぐ霞がかっている。
しばらくして下山。
故宮の外周には筒子河というお堀がある。
左手に、筒子池沿いの四合院、右手に神武門
四合院。
まるで、天空に浮かぶ様。
筒子池沿いをジョギングする人。散歩している人も結構いる。
そうか、東京のお堀と同じですね。
筒子池を東手の方に回り、北池子大街、南池子大街を抜けて、天安門広場に向かう。道の両脇には、四合院が並ぶ。故宮の外壁を一歩出ると、そこには洗濯物が干されていたりして、庶民的な風景。
天安門のスクリーンの正体は、これも建国60周年のものでした。両脇に四角い大画面、正面に2つ横細の画面。。。右の写真は、有名な毛沢東の顔がある広場ですが、ここは正面には立ってはいけないので、横から。
それにしても、故宮、天安門、ここら辺は、中国の人にとっても、一生一度の観光地だから、黒い頭だらけ。押し合いへし合い。ぐったりする。
私も、観光客だから文句はいえないが、興ざめというか、申し訳ないが疲れてしまう。
前門の先まで南下するのは、もう無謀とあきらめる。歩いてホテルに戻るのは、しんどいので、初地下鉄。
地下鉄の通路。
おや、オダジョー(の映画)と思って、さらに左に曲がると「TSUBAKI」。
なんだか、見た顔いっぱい。
地下鉄は、まず入るところで、荷物検査。
デポジット付きのICカードを買うか、1回券を買うか悩んだ末、どのぐらい乗るわからないので、1回券を買う。2元(30円)だし。。。
地下鉄は、電車もすぐ来るので便利だった。ただし、もの凄く混んでいる。
今日は、朝9:30〜19:00まで、途中の昼食と夕食を抜かして、ずっと歩きっ放し。なんとなく、土地勘、距離感を得る。